彼のことを想うたび、胸の奥が痛くなる。思い出すたび、胸が詰まる。人目も憚らず泣きたくなる。自分で言うのもなんだが、彼がどれほどわたしのことを好いているかは、これはもう疑いようのない事実というか、ことがら。そんな彼をわたしはいつも待たせてばかりいた。帰るとき、もうすぐ会えるとき、いつも家のひとがわたしの名前を彼に告げる。耳がぴんとたち、目の色がかわる、のだそうだ。彼はわたしとの再会を楽しみにしていた。その日もそうだった。再三わたしの名前を告げられて、突然ロープを外された。走っていけばわたしに会えると思ったに違いない。それが、帰る一日前の夕。例年にない大雪の降る前日。それを思い出すたび、こころの何かが狂いそうになるくらい、つらくていたたまれない気持ちになる。暗闇では簡単に小さな段差も踏み外すような脚力になっていたのを承知での沙汰。愛のないおんなの狂気とは、かくも恐ろしいものなのか。なんて残酷。なんて仕打ち。でもこれ以上はおもうまい。年寄りの撹乱を、こころの悪魔を責めたところで、いまのわたし
がつらくなるばかり。しばし切り離して冷静に努めるより仕方がない。ほんとうなら、即刻勘当にしたいが。まぁ、それはさておき。ともかく、彼が私のほうがずっと好きなことをやきもちを焼くのだ。そもそも、優しさの種類がまったく違う。それは、一事が万事で、相手がひとでも接し方はたぶん同じだろう。互いの信頼。思い遣り。一緒にいるときの安らぎの感覚。彼をみながら、男って(みんな)男なのねぇ。そう眺めてた。それがいとおしい。どんなに急いていても、彼が納得して自分で降りるまで、ずっと膝の上にのせたまま待っていた。無理やり降ろすなんて、決してしなかった。さいご、あんなに必死でしがみついて顔を胸に押し付けてきたときのあの感覚が、いまも胸に蘇るたび、こぼれる涙をこらえることができなくなる。愛するものを想うときのこころは、一生かわらない。そう、つよくおもう。(彼のことを書いていたら、おそらくこのまま一年(=24×365時間という意味です)でも書いていられる。)

たとえ一年に一度でも、いや二年に一度でもわたしとラウンドする機会のあることを愉しみにしていてくれるひとがいるというのは、ほんとうにうれしくしあわせだ。もちろん、わたしもたのしみにしている。それに、いつかきっとご一緒したい、そう願ってやまない方々もある。無礼を承知で、僭越を覚悟で、思い切って手紙をだしてみようか、ともおもう。ひとはあした死ぬかもしれないのだ。だから、悔いのないよう、願いはちゃんと口に出して相手に伝えないとはじまらない。そう自分に言い聞かせるのだけど、あともう少しだから、いまは辛抱。そうもおもっていつか必ず、願いの叶う日のことをずっとおもい描いて、こころに元気を注げている。職場のじょうし(=女子)に誘われそうになると、「ゴルフはね、いいおとこと一日をすごすための偉大なる口実なんですよ」なあんて、偉そうな不良を装ってやんわり固辞してみたりする。なんて、酷いのでしょうねぇ。だって、女のゴルフなんて全然つまんないんだもん。自分を棚上げするこの根性は、まったくおんなの賜物なのにねぇ
。さらには、下戸のわたしにはまったくもってゴルフがありがたい。別に、野球だって、サッカーだって、バスケットだって、バレーボールだっていっこうに構わないのだけれど、5分も走らぬ間に息が切れるのよ。ゴルフみたいにゆったりできますまい。別に部活でやってたわけでもないのに、球技はみなそのレベルでできちゃうなんて、確かにまったく困ったおてんば娘。なのでありまする。

ささやかだけど夢がある。いきつけのバーがあるといいな。ひとりになりたいとき、しんみりしたいとき、静かに本を読みたいとき、なにとはない話がしたいとき、そこには、たとえばそう、俳優の國村さんのような風貌の無口なマスターがいて…。おひょいさんだとお洒落すぎるんだな。寺尾さんだとちょいと男前すぎる。(なんて酷い生意気言ってますねぇ、まったく。)下戸なのに、許される。そこがポイント。70歳のおばあちゃんでも許してもらえる。喫茶店ではなく、あくまでバー。カウンターしかない。そこがポイント。おんなが店主ではダメなのだ。そしてまあ、そこでだけ会える素敵な紳士が、ちらほらと。なあんて、好き放題の想像力ですねぇ。すみません。もうひとつの夢はね。(まだあるんかい?いま、そうおもいました?)。いつか野球チームをつくりたいな。別に強くなるためじゃない。おつきあいで必ず出席なんて縛りはいっさいなし。いつでも気が向いたら参加、でいい。いやいちども試合をしないチームでもいいかな。要は、気のあうものどおしがたまに集まる
口実でいいかも。いやいや、草野球してみたいな。河原で。よそのチームと対戦するんじゃなくて、集まってじゃんけんしてふたつにわかれて、球を打つ。捕って投げて、走って打って。そういうの。もちろんおんなはダメ。紅一点じゃなくなるから(まったくひどかおなごですたい。)。どんなに偉いひとでもそこでは階級はいっさい関係なし。愚痴や悪口もなし。鬱陶しい決りもなし。皆がするから我慢するってのもなし。ああ、でも参加条件がひとつ。(これからの可能性も含めて)いいおとこであること。なあんて。想像しながら書いていたら、グローブもって河原に走り出したくなってきましたねぇ。(ほんまにきょうは、いささか長広舌が過ぎましたm--m。)