10月の風はとても優しくて、つられて気分も軽くなり、お調子者のおばさんは、ますます軽やかにおしゃべりを重ねてしまう。なんとなくだか、伝わっていて、どうか無理せず、ゆっくりいきませう。そんなおもいでいる。たとえ13月でも、あるいは16月でも、来ると信じて待つのもとてもたのしく嬉しいのだと、このごろやっとこころでも感じられるようになってきた。たぶん、これはどちらにも当てはまることで、先の見えない不安の中にいるときの、ときにイライラ心配や焦りの一端が顔をだすとどうにも収まらず、マイナスのイメージばかりに押されてしまうのと、ふっと、何かがほどけたように、とても穏やかな風を感じられるのと。行間からあふれる空気が、それとなくそれを伝えている。そんな気がする。
ほんの断片だが、2歳や3歳のときの記憶もあって(大半は母親とはぐれて大泣きしているシーンなのだが)、これって珍しいのだろうか。ひとりっこのせいか、歩き出すのもことばを話すのもひとよりずっと遅かった。ついでに歯が生え変わるのも。とにかく、引っ込み思案甚だしくて、人見知り、泣き虫、怖がりの三拍子が揃っていた。高いところ、大きいもの、動くもの、これほとんどが怖かった。最初は着ぐるみまで怖くて、おかあさんといっしょさえ見られなかった。それがねぇ。。人生はどこでどうなるかわからない。だから面白くもたのしくもあるのでせう。いつだったか親戚のおばさんが、私が4歳になる前に書いたという、ひどいひらがなの手紙を丁寧に残していてくれたのを見せてくれた。私が歩き始めると、父はどこへいくのもずっと一緒にうしろからついてきてくれていたという。ほとんど毎日朝からずっと、父と母とがそばにいる環境なんて、思えば奇跡に近い。ときどき、発揮してしまう、まったく根拠のない自信も、そんな恵まれすぎた時間があったおかげかしらん
。
オス猫なら、メスのワンちゃんよりは可愛いだろう。動物だって立派にオスとメスの感情は違う。それほどまでに、メスが嫌いというわたしのほうがひどい、メス嫌いなのかもしれない。無論、仲良く家で遊ぶ女の子も時代時代で少数はいたが、圧倒的に少ない。嫌いといっても、自ら積極的に嫌いというのではなくて、嫉妬されたり意地悪されたりが嫌で、敬遠していたいというのがただしい。とにかく、そっとしておいてほしいのだが、おんなたちはそうはいかないらしい。みんな同じがいいのに、でも自分が一番がいいのがおんなの本心であるらしく。。つまりは、自分が嫉妬するひとがいなかった、そういう恵まれた状況にあったのだろう。そりゃあ、勉強も運動も苦手じゃなくて、それでいて掃除の時間にはやんちゃ坊主たちと騒いで、先生に一緒に怒られる、なんて、いいことばっかりで、そりゃあ、ほかの女の子にすれば嫌いにならないほうが難しいよねぇ。
野球、サッカー、バスケ、バレー。恐らく、3年間程度の部活をしたひととなら、互角以上にすることができる。とにかく、猫ではないが、転がるボールを見つけると自然に走り出していて、球技が好きで仕方なかった。習いごとは、嫌だったから行ったことがない。不純な動機で一年通った書道塾を除いて。宿題以外のことはほとんどしてない。ただ、4年生になったとき、家に帰ると台所のテーブルに小さなドリルが置いてあった。だれも、やりなさいとは言わない。言われていたらしなかっただろう。恐らく父の助言だったろうか。5、6年生は付録のラジオだかカメラだかが欲しくて、小さな通信プリントをやっていたっけ。それだけ。英語なんて中学になるまでアルファベットしか分からなかった。(中学では確かに猛烈に勉強したけれど。)ただ、漫画やゲームより、本が好きだった気がする。日記も書いていた。わたしが3日坊主にならないのは日記ぐらいなものだ。あとはひたすら、広い庭で遊んでいた。そうそう、民法が1局しか映らず、大人になるまでカツオくんはサザエさん
の子どもだと思っていた。一度も勉強しなさいといわれなかった。それが救いだった。父はいつも、本か新聞を読んでいた。男の子が遊びに来ない日は、父が相手をしてくれた。これって、確かに恵まれすぎですねぇ。
ほんの断片だが、2歳や3歳のときの記憶もあって(大半は母親とはぐれて大泣きしているシーンなのだが)、これって珍しいのだろうか。ひとりっこのせいか、歩き出すのもことばを話すのもひとよりずっと遅かった。ついでに歯が生え変わるのも。とにかく、引っ込み思案甚だしくて、人見知り、泣き虫、怖がりの三拍子が揃っていた。高いところ、大きいもの、動くもの、これほとんどが怖かった。最初は着ぐるみまで怖くて、おかあさんといっしょさえ見られなかった。それがねぇ。。人生はどこでどうなるかわからない。だから面白くもたのしくもあるのでせう。いつだったか親戚のおばさんが、私が4歳になる前に書いたという、ひどいひらがなの手紙を丁寧に残していてくれたのを見せてくれた。私が歩き始めると、父はどこへいくのもずっと一緒にうしろからついてきてくれていたという。ほとんど毎日朝からずっと、父と母とがそばにいる環境なんて、思えば奇跡に近い。ときどき、発揮してしまう、まったく根拠のない自信も、そんな恵まれすぎた時間があったおかげかしらん
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オス猫なら、メスのワンちゃんよりは可愛いだろう。動物だって立派にオスとメスの感情は違う。それほどまでに、メスが嫌いというわたしのほうがひどい、メス嫌いなのかもしれない。無論、仲良く家で遊ぶ女の子も時代時代で少数はいたが、圧倒的に少ない。嫌いといっても、自ら積極的に嫌いというのではなくて、嫉妬されたり意地悪されたりが嫌で、敬遠していたいというのがただしい。とにかく、そっとしておいてほしいのだが、おんなたちはそうはいかないらしい。みんな同じがいいのに、でも自分が一番がいいのがおんなの本心であるらしく。。つまりは、自分が嫉妬するひとがいなかった、そういう恵まれた状況にあったのだろう。そりゃあ、勉強も運動も苦手じゃなくて、それでいて掃除の時間にはやんちゃ坊主たちと騒いで、先生に一緒に怒られる、なんて、いいことばっかりで、そりゃあ、ほかの女の子にすれば嫌いにならないほうが難しいよねぇ。
野球、サッカー、バスケ、バレー。恐らく、3年間程度の部活をしたひととなら、互角以上にすることができる。とにかく、猫ではないが、転がるボールを見つけると自然に走り出していて、球技が好きで仕方なかった。習いごとは、嫌だったから行ったことがない。不純な動機で一年通った書道塾を除いて。宿題以外のことはほとんどしてない。ただ、4年生になったとき、家に帰ると台所のテーブルに小さなドリルが置いてあった。だれも、やりなさいとは言わない。言われていたらしなかっただろう。恐らく父の助言だったろうか。5、6年生は付録のラジオだかカメラだかが欲しくて、小さな通信プリントをやっていたっけ。それだけ。英語なんて中学になるまでアルファベットしか分からなかった。(中学では確かに猛烈に勉強したけれど。)ただ、漫画やゲームより、本が好きだった気がする。日記も書いていた。わたしが3日坊主にならないのは日記ぐらいなものだ。あとはひたすら、広い庭で遊んでいた。そうそう、民法が1局しか映らず、大人になるまでカツオくんはサザエさん
の子どもだと思っていた。一度も勉強しなさいといわれなかった。それが救いだった。父はいつも、本か新聞を読んでいた。男の子が遊びに来ない日は、父が相手をしてくれた。これって、確かに恵まれすぎですねぇ。