このところ、おとことおんなはいかに異なるいきものであるか、そんな話をよくしている気がする。無論、そういう話とて、ある程度はちゃんとキャッチボールのできる相手でないと成り立たぬから、おのずと限られてくる。そういう意味では、そんな話のできるおんなは、ある程度、男脳も持ち合わせている、ということになるらしい。それでいて、そんなおんなたちは、きまってそうではないタイプのおんなが余り好きではない傾向にある。ほかの意味での予防線のためにも、女は嫌いと、敢えて口にするのも似ている。つまりは、似た者通しは話も合うし、よって気も合いやすいのだろう。ときに、たとえば、自分ではなにも話題は提供できないのに、他人が持ち出した批判や悪口に加勢して、自分では言質の責任をとらずに、品のないことを話すことが会話だと思っているおばさんも、中にはいて、やっぱりそうひとは人徳がない。
結局は、品格というか、人格であり、ひととしてかっこいいか悪いか、見所があるかないか、ひとの立場にたって行動したり、思い遣ったりする余裕をもてるかいなか、なのだと思う。見える範囲のにんげんだけにしか目がいかず、気に入らないと足をひっぱり、よからぬ画策をして、ひとの不幸をよしとするような、そんな人間にはなるべくなら関わらずにいたいものだ。負けるが勝ちである。しかし、これは、あくまで、外で闘わずともいいおんなであるから言える、奇麗事であるかもしれぬ。結局、大人の会話のできぬものは、自分より優れたところのあるひとを認める代わりに、嫉妬や妬みで時を過ごすのだろうか。わからない。異性とフランクに話すことのできぬ女たちは結局、やきもちを焼くしかできないのだろうか。さっぱりわからん。わたしの場合は異例なのかなぁ。夕方、宿題を終えて縁側で寝ていると、近所の男の子ふたりが無愛想にやってきて、で、一緒に三角ベースをうちの庭でやってるなんて。学校では、同級生だけでなく、朝の時間は、一つ上の上級生男子の中にひと
り入って野球をしているなんて。おかげで、おんなたちのややこしい力関係にはほとんど無縁でいられたから、学ぶ機会も少なかった。だから、些細な揚げ足取りに躍起になる、女たちの狭量さがあまりにつまらんと思えてしまう。嫌いなひとに嫌われても別にいいじゃん、のその姿勢がどうも気に入らんひともいるようで…。むむむ、ほんまにおんなとは難しいですなぁ。
やっぱり、もてるもてないというのは、優しさであり強さであり、相手への思いやりであるのだろう。そして、多少は、異性脳を幾分もっているほうが、コミュニケーションがとりやすく、お互いに癒される。そして、それがもてるもてないということになるのだろうか。もともと、競い合うのはオスであり、メスにはそういう本能はないように思うのだが。やっぱり自分は誰より愛されている、そう思いたいのだろうか。それも無論だが、それよりも、自分がこころから愛している、そう思えることのほうがメスには何倍も大切なことだと思うのだけど。あるひとが、画面に映る綺麗な紅葉がいいねぇ~、と言ったので、そりゃあ、誰と一緒に観るかでしょ、とわたしが言うと、別のおばさんが、それはいい男よね~と、期待通りの返答を返してくれたので、内心にんまり。でもね。いい男って、ほかの女に自慢するためじゃないんだよ、ってもちろん心の中だけで言っていた。そのへんを、間違えないで、ちゃんと自然体でいられる女性がますます少なくなってはいやしないか。思うに、好きな
タイプを聞かれて、あれこれ条件とやらが次々出てくるようでは、そりゃまだ本当に好きになったことありまへんな。そう思うこのおばさんは、少々変わり者なのかしらねぇ。
結局は、品格というか、人格であり、ひととしてかっこいいか悪いか、見所があるかないか、ひとの立場にたって行動したり、思い遣ったりする余裕をもてるかいなか、なのだと思う。見える範囲のにんげんだけにしか目がいかず、気に入らないと足をひっぱり、よからぬ画策をして、ひとの不幸をよしとするような、そんな人間にはなるべくなら関わらずにいたいものだ。負けるが勝ちである。しかし、これは、あくまで、外で闘わずともいいおんなであるから言える、奇麗事であるかもしれぬ。結局、大人の会話のできぬものは、自分より優れたところのあるひとを認める代わりに、嫉妬や妬みで時を過ごすのだろうか。わからない。異性とフランクに話すことのできぬ女たちは結局、やきもちを焼くしかできないのだろうか。さっぱりわからん。わたしの場合は異例なのかなぁ。夕方、宿題を終えて縁側で寝ていると、近所の男の子ふたりが無愛想にやってきて、で、一緒に三角ベースをうちの庭でやってるなんて。学校では、同級生だけでなく、朝の時間は、一つ上の上級生男子の中にひと
り入って野球をしているなんて。おかげで、おんなたちのややこしい力関係にはほとんど無縁でいられたから、学ぶ機会も少なかった。だから、些細な揚げ足取りに躍起になる、女たちの狭量さがあまりにつまらんと思えてしまう。嫌いなひとに嫌われても別にいいじゃん、のその姿勢がどうも気に入らんひともいるようで…。むむむ、ほんまにおんなとは難しいですなぁ。
やっぱり、もてるもてないというのは、優しさであり強さであり、相手への思いやりであるのだろう。そして、多少は、異性脳を幾分もっているほうが、コミュニケーションがとりやすく、お互いに癒される。そして、それがもてるもてないということになるのだろうか。もともと、競い合うのはオスであり、メスにはそういう本能はないように思うのだが。やっぱり自分は誰より愛されている、そう思いたいのだろうか。それも無論だが、それよりも、自分がこころから愛している、そう思えることのほうがメスには何倍も大切なことだと思うのだけど。あるひとが、画面に映る綺麗な紅葉がいいねぇ~、と言ったので、そりゃあ、誰と一緒に観るかでしょ、とわたしが言うと、別のおばさんが、それはいい男よね~と、期待通りの返答を返してくれたので、内心にんまり。でもね。いい男って、ほかの女に自慢するためじゃないんだよ、ってもちろん心の中だけで言っていた。そのへんを、間違えないで、ちゃんと自然体でいられる女性がますます少なくなってはいやしないか。思うに、好きな
タイプを聞かれて、あれこれ条件とやらが次々出てくるようでは、そりゃまだ本当に好きになったことありまへんな。そう思うこのおばさんは、少々変わり者なのかしらねぇ。