思わず、ぎょっとする出来事があった。いや、もっと正直に白状すると、いささか怖かった。なにしろ、前のベンツから、恐持てのお兄さんが全身から怒りの気を充満させながら降りてきたではないか。刹那、とにかく胆を冷やしたが、開き直った。ドアの鍵は閉めないが、窓も下ろさないでいたら、一瞬躊躇したお兄さん、ドアの取っ手に手を掛けて(これで指紋は付いたかな)、「なんですか?」「ハンドル切れねぇから、もっと下がれよ」。(なあ~んだ、てっきりうっかり目が合ったから、何か誤解されて殴られでもするのかと思ったのに…。だったら、バックライト点灯させてくれれば分かったのに。)ともかく、怖かった。以前の車なら、何かあったときの護身用にと、名刺と手帳と、返し忘れた腕章が忍ばせてあったのだけど。ともあれ、相手もこちらの車が同じ外車なら、そんな態度に出なかったのでしょうかねぇ。いずれにせよ、街のど真ん中の瀟洒なビルの地下にある駐車場で、そんな野蛮な思いをするなんて…。くわばらくわばら。

それにしても、決して超能力者ではないのだが、ときおり、なんとも変な感じがすることがある。嫌な予感とも、虫の知らせとも違う。なんとなく、からだのなかの血の流れがざわざわするというか、う~ん、それを嫌な予感というのかしらん。ともあれ。ときおり、降って湧いたような嫌な思いというものは、たいていいつも、忘れた頃にやってくる。これは、いったい何なのだろう。これも、何か大きな厄災を分散させる役目を担っているのかしらん。あ~、いい天気。四季っていいなぁ。優しい気候ってなんて有難いのだろう。そう、のほほ~んと、気を抜いていると、ちょっとビックリの出来事があったりするから、にんともかんとも。もっと気を引き締めて、ちゃんとこころの機微を大切に、日々の暮らしを謙虚になさい、そう窘められているのだろうか。ときに、先日、これまたうっかりが原因なのだが、携帯電話の小窓のガラスにひびが入った。風水に傾倒するひとなら、すぐにでも替えねば縁起が…、となるのだろうなぁ、と思いながらそのままで。これも代わりに、傷ついてくれ
たのかしら、なあんてお気楽に考えてしまう能天気もいけませんねぇ。

これはまだ、誰にも尋ねたことはないのだけれど。おんなは、おんなといういきものは、つねにしあわせというもの(ほんとは個人個人の価値観で違うはずなのだが)に、とても敏感で、それでいて案外とても狭量(視野が狭い)だから、身の回りにいるひとの個人情報にやたらと好奇心を発揮する。無論、全員ではないのだが、自分よりしあわせに見えるひとが気に入らない。ように見えるのだが、これは永遠に確かめようがない気もするし、おんなのものさしは、ひょっとしたらそのことに尽きるのだろうかと思われることが少なくない。能天気に、わたしはとってもしあわせ。そう思えるひとばかりになるなんて、実際にはあり得ないのでしょうかねぇ。ひとは、比べられるから負けまいと頑張る原動力にもなるけれど、比べられない事柄の方が、ほんとうは何倍も大事でもある。それを、頭でわかってもこころで理解するのは難しい。それに、間違いなくもって生まれた感性や、才能は確かに不平等。たとえば、5人のおばさんがいてそのうち3人が喋っている。そんな珍しくもない光景を
目にするたびに、いやはや、と感じる。きっと、おんなとて、40を過ぎたら顔はそのひとの責任なのだと思う。いや顔だけじゃない。風貌、雰囲気、情緒みんなだ。ちゃんと大人の会話のできるひと。いるようで、案外少ないのですねぇ。