愛は、死にません。そういう台詞が印象的なドラマがあったような。あれ。僕だったかしら。ともあれ。愛は、永遠に不滅なんです。変わりようがないんです。だから、ときに、苦しかったりもするのですけど。でも、それに支えられるからこそ、生きられるんです。少し大袈裟ですが。愛はいのちです。といってもいいのかも。それは、もちろん、出会ってはじめて、いつしか、気が付くとそこにあって、自分でも驚いて、躊躇って、最初は、本当だろうかって、自分でも思ったけれど、いつしか、それが確信にかわって、信念にかわって、そして、希望にかわって、う~ん、いまは、なんだろう、それ全部かなぁ。目に見えないからこそ、あるもの。間違いなく、消えないものと言えるような気もする。こころは、一生自分のハートとして、そこにあるのと同じ。いとおしくて、抱きしめたくて、そして、できるだけ、たくさんの愉しい時間や、嬉しい時間を、ときにはともに、ときには、それぞれに、もって、相手が愉しい姿を見るのが、自分も嬉しいと思える。いままで、セーブしていたものにも存分に挑戦してほしい。そういうのが、とても、自然で。美しい。こころがのびのび、そして、ホッとできることのような気がする。安らぎであること。そんな空間を、たいせつにしていきたい。これからも、ずっと。


ところで。世間は狭いものね。と思えることがありまして。わたしこれでも、かつては記事を書いてたんですよ?えっ、どこで?あら、なんと奇遇な。僕は外国語版のほうでね。もういまのオフィスで9年。そのまえは、フィンランドにいたんですよ。入社したのは76年。そのチームのコンペはね。最近集まりが悪くてね。みんな高いという。でも、余り安い所だと面白くない。僕は、せっかく行くのならいいコースがいいと思うのだけどね。まぁ、そのひとをPさんとしませう。わたしがふと、かって時々思ったんですよ。ほんとうに、辞めてよかったのかどうか…。とためいくと。人生を、あなたは、自分自身に委ねることができたんですよ。確かに、大きな会社に預けるという道もある。そのほうが安全。でも、人生はお金だけではかれるものじゃないんです。17年前に60代で亡くなった僕の父は、かつて、アマ選手権で優勝し、国代表になった。その後、さんざん悩んだ末に、プロ転向をあきらめた。たぶん、そうしていたら、成功したとかしなかったとか、そういうことではなくて、もっと別のレベルで、のちのちまで、父にはその決断が心残りとして残った。晩年にそうこぼしていました。だから、あなたは、ひとつの“正しい”道を選んだんです。それだけは、いえると思います。思いがけず、力強いことばを、こんなところでもらえるなんて。とても、感動と感心をしました。英国は、北部のリーズ出身。母国では子どもの頃から、親しんでいたとか。いまは、月に一度が精一杯でね。高いから。と、残念がっていた。グリップの変更を試してみませんかと、提案したけれど。自分を曲げない頑固なところが、お国柄か、ちょっと興味深かったのでした。ともあれ。ほかの、メンバーとあわせて、また是非ご一緒しましょうと、なったのでした。そうそう。きょうはこれから、夜勤ですと。言っていましたっけ。もし、まだいらっしゃったら、そして、もしお知り合いなら、お声を掛けられてみては。。。


というのを、もちろん、ぜんぶ英語で話したわけです。なかなかどうして、わたしの勇気と勘と気合いだけの会話力もなかなかでしょ?ともあれ。さきの話に戻りますと。ともあれ。いずれに道を選んだとしても、その信念を貫くことは、どちらも同様に凄いことだと、わたしは、思います。どこにも、楽だけで進める平坦な道などないんです。わたしには、とうていできないからこそ、ずっと続けてこられたことを、こころから尊敬します。けっして、お世辞などではなく。口で、偉そうなことをいうだけなら、だれでもできる。とにかく、続けるということがなによりもおもい。そして、意義深い。そう、思っています。これからも、今まで以上に、これまで楽しめなかった分まで、たくさん嬉し愉しい時間をもてますように、と願っています。ただ、健康だけには、気をつけて。これだけは、全世界、たいせつな人には、みんなそう思い、ついつい、口うるさくなってしまうのかもしれません。そして、これからも、これまであったすべての世界をたいせつにしてほしい。とも。そして、もちろん、新たに、たくさんのであいをもてるのは、とてもしあわせなことです。ひとは、日々出会う、いろいろなひとからエネルギーをもらえる。それも、互いにこころを開くことのできる友人が多いのは、何よりだし。そうそう。そういえば、その道のプロの友人が、次の車にはこれはどう?って、親身に薦めてくれたのは、訳すと“風の道”だったような…。奇遇ですねぇ^^;。