春は曙、というけれど、なかなかどうして、春の宵も、なんともいとおしい風情にあふれている。頬をなでる柔らかな風が吹き抜けるたびに、満開のさくらが舞い上がり、空には満月。古人が愛でるのも、無理もない。「をかし」でも、「あはれ」でもなく、思わず「やばい」としか表現できない、我が語彙の貧しさを嘆きつつも、でも、その風情に見とれている。窓を開けても寒くなく、敢えて電気を点けずに、月と花を眺める。なんて、素敵な時間なのでしょう。それにしても、空に、月を見つけただけで、いつも不思議とホッとするのだ。大勢の人に囲まれる、公園やお城の桜も確かに美しいが、河原にひっそりと咲く桜が好きだ。堤防沿いの、一定の間隔に植えられた桜とか。懐かしい、あの河原の豪華な桜たちもいまごろ、絢爛に咲き誇っているだろうか。なんでも、江戸彼岸と、大島桜を交配して生れたものが、ソメイヨシノで、巣鴨にある染井という地名からついたという。きょう聞いたばかりの受け売りですが。。。中国山地の山の中にある、室町時代の天皇の名をもつその古大木の桜は、それはそれは見事だった。500年以上咲き続けるそのちからにまず圧倒される。いつの日か、また見に行けたら…。そう願っている。


ついに、女子プロ一号が誕生したとか。15年前に聞いていたら、それは内心穏やかとはいかなかっただろうな。でも。今だから。それはよかった。是非頑張れ、そうエールを贈りたい。あのころは、女子の門戸が解放されたと聞いただけで、真剣な手紙をある方に(無礼にも)送ってしまったほどだったものな。本気でなれるのではないか、なあんて、思っていたんだものな。そりゃね、草野球レベルならね。あるいは、もしも、絶対に投げてアウトを取らなくていい、2アウトからの守備固めとかね。無死満塁からの内野超え安打とかね。ものすごく限られた状況でなら、活躍もできるけれど。そんな、150キロをフルスイングで打てるわけないでしょ。振っただけでこちらのからだが吹き飛びそうだ。ゴルフなら、まだ、ティーのハンデがあるけれど。女子だけ2メートル前から投げていいならね。やっぱり、遊びのレベル以外で同じ土俵に立つというのは、無理があるだろうな。ただ、フロリダの女子選手の投げる球は、こちらの男性陣より速かったりはしてたけど。ともあれ。あの、9回完投からもうかれこれ、15年が経ちましたかぁ。なんだか、しみじみ時の流れを感じるものだ。こちとら、もうそろそろ、四十肩ぁ?の気配に不安を感じつつ。。。それでも、また、投げる機会がもてたらな、ちょっとだけ思ってみたり。。。


いつかも触れたけど、ゴルフは、きっと、パーを目指してしまう辺りから、こじんまり、スケールの小さなゴルフになってしまうのだろうな。パーは、ピンチのときに死守するものでこそあれ、はじめから、フェアウエィ真ん中から目指すものではないのだろう。ほんに、平均の好きな国民だとときどき、苦笑したりして。。。いろんな球を打ち分けられること、打てないライがあってはいけないこと、バンカーでもウッドで打てること(わたしは大の苦手)、などなど、懐を深くすることを忘れちゃいけないのだろうな。パー病にかかると、安全に安全に、雨も降っていないのに傘さすみたいな、ちょっとでも易しいライを好むようになっちまうし。。。黙って、難しいライから何食わぬ顔で、寄せちゃったりするのが、カッコいいのだろうな。なかなか、わかってくれるひとは少ないけど。数は少ないけれど、綺麗なゴルフをするひとを知っている。素敵なゴルフをされるひと。カッコイイゴルフをされるひと。それぞれに、見ていて気持ちがいい。ゴルフって、ほんとうは、キャッチボールと同じところがある気がする。「なぬ。おぬし。やりますなぁ~。そこから、そうきますか。どれどれ。では、拙者は、こうしてみよう。」なあんて。将棋ではないけど、言葉にならない会話がある気がする。そういうゴルフのできる女性をまだ、知らない。背中と、姿勢と、歩く姿だけでも、腕前がかなりわかってしまう、こわいスポーツだけど。でも、スコアがいいだけが、上手いというのではない。あくまで、私見にすぎないけれど、そんな風に思っている。