辟易。そう、ブーイングが聞こえてきそうである。おいおい、いったいいつまで同じこと言っているんだ。と。相棒ロスは分かるけど、いつまで、悲劇の主人公を気取っているのだ。と。公共の電波を使って、セルフカウンセリングとやらも、ほどほどにせんと、読むほうがげんなりするばかりだぞ。そう、叱られているような気がする。わかっている。申し訳ない。迷惑を、重々承知で。ただ、これでも、お陰で少しずつだか、着実に快方に向っているのが、実感できているのです。お許しください。大袈裟かも知れぬが、ほとんど、愛息子を亡くしたみたいな気分だった。実際息子をもったことないのに、言うのも僭越なのだけど。なくしてはじめて、それまで当たり前のようにおもっていたものの、有り難さに身をつまされる。絶対の信頼を寄せてくれるものの、その存在のたいせつさ、その支えの大きさみたいなものに、愕然とさせられる。ひとはつくづく、ないものねだりの、燈台下暗しだと、思い知らされる。おまけに、その「不在」の大きさに打ちのめされて、勝手にまだ起こってもいない「不在」への恐怖まで募らせていたようだ。(ただ、そのうちまた、彼の回顧の続編、書いちゃうかも、しれません。お許しを。)
いきなりで、かなり乱暴な展開なのだけど。ふと、思った。おんなは、おとこのひとの思っていることは手に取るようにわかる(例えば、電車で隣のつり革につかまるオジサンが要注意だとか、まあ、喩えは悪いですが。。)。でも、その深い洞察や、論理的な考えはちっとも見えない。いや、そもそも考えるという細胞そのものがないといってもいいのかもしれない。それぐらい、女は直感的で、感情的。日常のほとんどは、その気分に左右されている。そして、周りがちっとも見えていない。ただ、ここ一番の忍耐力と、芯の強さだけはあるみたい。いっぽうで。たぶんだけど、男の人は、女の考えること(そもそも考えなどないかもしれぬのですが)は、あっさりわかる。でも、おもっていることはさっぱりわからん。のではないだろうか。秋の空なんていわれるのもその辺なのかも。思うことと考えること。この似て非なるもの。それに、言葉のあやに、うっかりとげまでが加わってくるから、益々むずかしいのだろう。そもそも、この点では、まったく別の生き物のよう。だから、魅力的なのだけど。知的で、すべての行動にはちゃんと、意味があって、先の先まで考えている。そんなこと、とてもまねできないから感心するばかり。ただ、ときどき、上手く伝えられない言葉のあやのもどかしさに、こころをやきもきさせてしまう。そうじゃないって。ちゃんと、芯の部分はいつでも同じなのですから。なんて、いう風に。
さらに突然だけど。実は、白状すると。ちゃんとゴルフが出来るようになったと思えたのは、一線を退いてからだった。偶然なのか、はたまた必然なのか。ひょんなことから、ちゃんとした理論を学んだ。それなりの、基本というか下地があったから、それらが出会ってそういう感じを得ることが、偶然出来たのかもしれない(なにしろ、考えることに疎いわけで)。ともあれ。修行をやめたままだったら、そんな風にひとつのかたちを得ることは出来ぬままだったろう。ただ、ちょっとだけスムーズにまわれるというだけのひとりで。無論、スコアのことではない。ここらへんの説明が難しいけど。つまり、ゴルフって、ああこういうものだったんだ、というようなものがやっと少しだけわかったと思えるような。なにかが見えたというか。たぶん、スコアだけを追い求めすぎて、本当に大事なものを見落としていたのだろう。もちろん、ある程度の技術の余裕もあったお陰で、すこしはやく気づくことができたのかもしれないけれど。ああ、ちゃんと通じてるだろうか。うまくいえなくてもどかしい。で、具体的にはというと。なるべくたくさん打ちたいとおもってる。なぜなら、難しいライに少しでも多く挑戦したいから。わざとバンカー入れたりね。もちろん、こっそり。無論、いつでもどこでもバーディを狙ってる(でも、しぶ~いパーをとったときのほうが、なぜか何倍も嬉しいのだ)。ただ、リスクを恐れないだけ。安全策をとらないだけ。無謀でいいとおもってる。せっかくのチャンスなのだから。ひたすらスコア短縮を望んでいる多くのひとたちには、変人扱いされるかもしれない。仕方ないか。なので、ゴルフさえできれば誰とでも。そんな気にはとてもなれない。スタイルを通して、話せるひと。素敵なゴルファー。そんなラウンドを夢見ている。