ごめんなさい。取り乱してごめんなさい。つらいことはいいことの貯金だなんて、偉そうなことを言ったそばから、こんなに脆くて、こんなに情けなくて…。どうしてこうも同じ過ちを繰り返すのか。あともう少しというところで、油断と、かんしゃく(辛抱の足りなさ)で、無用な誤解や取り返しのつかない悔いを作ってしまうのだろう。恥ずかしい。いつか、恩師が急逝したときにも、感情を抑えられずに叱られた。誰か~と、感情を振り回すのは周囲に迷惑をかけるだけだ、と。なくなったものを偲ぶことだ、と。ほんとうにその通りです。
会えなかったことが悲しいのも、さいごまでみてあげられなかった悔いも、みな自分のつらさが嫌だ嫌だと言っているのと同じなのだろう。静かに受け容れられる時間を待つ忍耐を、身近にしないといけないのだ、そう教わっていたのに。すみません。
ただひとついいたいのは、老いは醜いというひとがあるけれど、それは違うと思う。いとおしさが増すことはあっても、その逆はないということ。ひとは気持ちで生きている。好きというのはこころを好きということ。だから皺が醜いというのは大きな誤りだ。醜いどころか、時は重ねるほど深く魅力が増すものだ。そう信じている。
会えなかったことが悲しいのも、さいごまでみてあげられなかった悔いも、みな自分のつらさが嫌だ嫌だと言っているのと同じなのだろう。静かに受け容れられる時間を待つ忍耐を、身近にしないといけないのだ、そう教わっていたのに。すみません。
ただひとついいたいのは、老いは醜いというひとがあるけれど、それは違うと思う。いとおしさが増すことはあっても、その逆はないということ。ひとは気持ちで生きている。好きというのはこころを好きということ。だから皺が醜いというのは大きな誤りだ。醜いどころか、時は重ねるほど深く魅力が増すものだ。そう信じている。