ゴルフで何がいちばん難しいかといえば、それはパターであり、これいじょう深く険しい(?)ものはない。のかもしれない。少々ティーショットがぶれようとも、少しぐらいアイアンショットが曲がろうとも、多少アプローチの精度が悪かろうとも、パターがきちんと打てさえすれば、まったく違うドラマが待っているのだ。つまりは、きちんと立てるかどうかがこれほど難しいものがないということなのだろう。真っすぐ打つのが難しいという声も聞くが、さにあらず。カーペットの上で、パターマットの上でなら、なぜあれほど簡単か。答えは簡単。水平なところにボールを置いて、水平に立って打っているから。どんなにまっすぐに見えようとも、完全に水平なグリーン上の面は皆無に等しい。つまりは、そのライに対して逆らわず、穴にばかり気をとられることもなく、ボールのある面に対してまっすぐ立てるか、打ちたいボールが打てる位置にボールを置いて立てているか、つまりはそういうことなのだろう。得てして、自分が思っているまっすぐと、実際のまっすぐは異なるものである。もっとも、だからこそ、あれほどまでに難しいけど、愉しいドラマが待っていてもくれるのだろう。かしら。そして、もうひとつ。なくてはならないのが。絶対に入ると思って打たないボールは決してゴールには届かない。ということ。そんな風に、ふと思った。


どういうわけだか、ときどきふとボールを転がしてみたくなるときがあって、おもむろに畳まれたマートを拡げ、グリップを握って、姿勢をとる。そういときは、かならずなにか新しい発見があるから不思議だ。このたびは、パットのフェイス、ライ角に合ったボールの位置というのがあるのに気がついた。なんだ、いまさら、いまごろ気づいたの~?と思われるかもしれない。でもね。いつまでたっても、新しい発見がある関係って、ちょっと素敵な気がするのだけれど。。。なにはともあれ、あの有名な即席麺の容器の口よりひとまわり大きいだけのカップって、ほんとはボール3つ分の広さがあるのにねぇ~。つまりは、もし1メートル以内なら少々のミスは吸収してくれる。かなり融通の利く大きさなのに。実際に向かい合うと、どうしてあ~も、小さく困難なゴールに見えてしまうのかしらね。ほんと不思議。(ところで、なんでわたし、こんなこといきなり書き始めてるのでしょう?自分でも、驚き。)でも、ほんとに大事なのは点数より内容で。心構えで。心意気で。だから、だれと一緒にラウンドするかが、ほとんどすべてのような気がする。あとは、コースの作り手の物語や景色に触れながら、そんな話をしながら芝生を歩く。これが、いちばんの醍醐味。そんな気がしている。


いつかも、書いたかもしれないが。正確には、Pine pine Hill on the Pine hill,which is these days.であり、pineには、たくさんの、いやありったけの想いがこめられている。いつも、あの丘に立つたびに、あの景色を眺めるたびに、その想いに包まれ、その一文を思い出している。それは wanna be であったり、wanna cherish であったり、wanna stand by であったり(するのだけれど)。。。なんてね。(この3行を書きたいための、照れ隠し、だったのかもしれませぬ。さも偉そうなパター談義。。。)Shall we go a round together in some near future?^^*,I wish hopefully.