Holidays that glow with love, bright smiles, joy, and laughter..... Hope this year brings you memories to cherish ever after. こんな素敵な文章がすらすらすらっと書けたら、さぞやうれしいだろうなぁ....っと思うのだけれども、なにしろ、Life is riskと叫んでしまう無粋なセンスであるからして…。たまたま買ったグリーティングカードにあった文章です。これは、どうみても西洋のことばでないと言えない綴りですねぇ。日本語で意訳しても、生煮えのお芋さんを食べさせられているような消化不能感が残るでしょうねぇ。ほんに、ことばとは不思議なもので…。つまりは、風土にそういう感覚がないということなのでしょうか。う~ん。さて。気を取り直して。年の瀬ですが。デジタル時計のように、ひとは誕生日になった瞬間にひとつ歳をとるわけではなくて、一刻一刻時を重ねているのだから、お正月ったって…。と、いささかおへそ曲がりな屁理屈を言ってみたくならないでもないのだけれど、昔から殊のほか、元旦の行事を大事にしてきたこの国の習慣風土を思うと、やはり、そういうことでもない気がして。自然と、神妙な気分になってしまう。改めて、時が二度と戻らないことを確認するための行事?でもないかぁ。う~ん、やっぱり少しおへそ曲がりなのかしらん。


冬の夕日がとりわけ美しいのは、それが一瞬の内に地平線の下へ行ってしまうからでは、とあるひとが書かれていたが、それだけではなく、この冷たい空気が映す色の澄み具合も加わっているように思う。海にきらめく朝日が、ことばをなくすほど綺麗なのも、たぶん、寒さが醸すもうひとつの魔法のような気がするし…。そして、寒さを堪えて、その場所に足を運び、その美しい情景をなんとかしてこころに写しておきたいと必死で観ようとするから、余計にその壮麗さが際立って思えるのだろうか。ともかく。どうしてだかわからないけど、寒いときほど、寒いと分かっていても、いたいほど凍える風が吹いていると分かっていても、そんな景色のあるところに足が向いてしまうから不思議である。夜明け時、高い山脈に囲まれたハイウェイで目にする、雪山に朝日があたりはじめるときの、神々しいともいえる、光と影のつくる奇跡は、ほんとに息を呑むほどであるし。ほんに、冬の景色にどうして、これほど惹かれるのか、実際ものすごく寒がりで、寒いのは苦手なのに…、と、自分でも可笑しいくらいで。。。ひょっとして前世は、寒いところに暮らすひとだったのかしらねぇ。


エスプレッソ、カプチーノ、チョコレート(特にODGGEのケーキは絶品である)、モッツァレラトマト、グラタンオニオンスープ、ミョウガ、ウズラタマゴ、ズリ、ナンコツ、ユッケ、エンガワ、シマアジ、活バイ貝、サーモントロ、秋刀魚、縞鯛、メバル、フィレ肉ならミィディアムレアで……。とにかく好きなものを書けるだけ書き出してみようと思ってみたが、どうもいけない。とにかく、パンと珈琲とチョコレートがこの世からなくなってもらうと一寸困る、のそのほかは、確かにどれも好きだが、これが大好物ぅ!というのがない。野菜はなんでも好きだし、なにより、麺類には目がないし。でも、これだぁ~ってのがない、たとえば、大福ぅ~!ってとかみたいに。やっぱり美味しいものが好きなんですね。そんなの当たり前か。とほほ。ただ、どれもめったに食べられないから、美味しいのだ。故郷の街に、それも繁華街からかなり外れた郊外の雑居ビルの片隅に、こじんまりとしているが、ものすごく丁寧な作り方に感心するフレンチレストランがある。とにかく、美味しい。メインのほかは。いや、メインが不味いのではなく、前菜やサラダ、スープ、自家製パン、副菜に至るまでのひとつひとつに加えられた手間と、その繊細な味付けへの感動が余りに大きすぎるあまりに、普通に美味しいはずのメインが脇役になってしまうのである。この感じわかってもらえるだろうか。恐らく、料理だけに限るまいが、なにものも、その完成までに加えられた手間(つまり、手=愛情と苦悩?)の数が、すべてに近いのかもしれないとも思う。