そりゃね、ときどきふと思いますよ。やっぱり。こんなに、もどかしくて、むずかしい、キャッチボールはないんじゃない?って。むちゃくちゃ、通じ合ってものすごく嬉しいこともある代わりに、ときに、ことばのあやに互いに苦しみ、誤解もしあって、哀しい気分を味わったりもする。でも、自分に言い聞かせてる。いいや、ちゃんと底の部分の信頼が揺らぐことなんてないもんね。って。でも、やっぱり、そりゃ不安になることもあります。大丈夫かなって。神さまに許してもらえるのかなって。でも、そんな弱音を吐いたら、きっと悲しませるだけだから、頑張らなきゃなって。いろいろ。でも、考えてみれば、こんな崇高な(ちょっと大袈裟かな。ごめんなさい)やりとりは、そんじょそこらのだれもができることではないのだろうな、ものすごく贅沢なことなのだろうな、って、誇りに思えることにも随分、助けられている。直接にだったら、恥ずかしくてとてもいえないことも、さらりと、挿入句で言えたりもする。ありがたい。だけど、やっぱりあるんですねぇ。会いたくて、泣きたくなるほど会いたくなる、そんなときが。なんてね。


我が儘だけど、ほんの少し日本語をお休みしようと思って。小一週間ほど、第二の田舎に行って来ようかと思っている。飛行機代を節約すると、結局この時期になってしまう。今年は寒いらしい。海外に、気兼ねなくいける第二のふるさとみたいなところがあるひとはしあわせだと、どこかで読んだ気がする。そうかもしれない。互いに適度に言葉が不自由というのがまたいい。互いが母国語が少ししかわからないから、傷つけずに済む。知らぬが仏。でも、会話は気持でするものだと余計にわかる。行く度に成長している、子供たちの笑顔に会うのが何より嬉しい。なぜだか、わたしの作るカレーが評判で、今度は行く前からちゃんとルーを持ってきてとリクエストがあった。いつも来て、子供とスケートして遊んで、時々街に出て、あとはのんびりサウナか散歩しかしないわたしを彼らはいつも心配してくれる。少し訝しげに。「せっかく高い飛行機に乗って、そんなんでいいの?」と。そりゃ、時間と懐に余裕があれば、冬のパリに足を伸ばしてみたいけれど。要は洗練された外の空気に触れられることがなにより。列車からの景色も何より。慣れた町で寛ぐのも案外愉しい。上は9歳から1歳までの子供のいる6つの家族と、お隣さんと。ごくごくありきたりの小さな街の普通のひとたち。だからこそ、いいのかもしれない。それでも、建築様式や、落ち着いた(室内の)住まい方は行く度に勉強になる。それと、子供たちへの教育のしかたも。