遅くなって申し訳ない。まことに、まだるっこい限り。田舎の古いパソコンが何度頑張っても「モデム検出できません」に、もう少し「ねかせろ」と言われている気もして…。ともあれ、言い訳に違いない。申し訳ない。しばし、他者の目を気にせず、直接的な表現を書きたいところを、ぐっとこらえて。
にんげん、自分の身にふりかかることは、いいこともそうでないことも、きっとみんななんらかの糧であり、支えでもあるのだろうなと思う。弱くないひとほど、いろんな試練に試される。でも、またそれがさらに深くしてくれる栄養にもなってしまう。きっと、そういうことなんだろうなと思う。かっこいいひととそうでないひとを見ていて思うのは、年齢とともに、その差はどんどん大きくなっていくのだろうなということ。悲哀と含羞と泣き笑いはみんな同じ意味なのだろうなということ。そんな気がする。
ときどき思う。迷ったとき、悩んだとき最後はなにを頼りにするべきか。たぶん、それが信念なんだと思う。じぶんのこころにある、しんのぼう(心棒)なんだと思う。父なら、どう言うだろうかと考えることもある。ただ、わたしには、この家の最後の代になるにせよ、しかるべき誰かに譲るにせよ、責任はあるのだろうなと思う。不思議と家の用事は苦にならない。朝5時に、東の空の美しい弧を描く月に送られて家を出るのもいいなと思う。飛行機の窓から、息を飲むほどまぶしい朝日が海にきらめく景色を目の当たりにして、ほんの刹那でも、「ああ、このままあのひかりのなかに吸い込まれてもいいな」と思える瞬間があるのも悪くないなと思う。むしろ、嬉しいとさえ。
それでも思う。わたしはあなたを愛している。でも、愛があるならああしてほしい、こうしてほしいなんて思わない。たぶん、それはついに愛に出会えなかったひとが思うことだろうなと思うから。しあわせとは、ひとに自慢できるかいなかで決まるような薄いものではないとも思う。おんなにとって、愛に出会えること、最愛のひとを愛し抜くこと以上のことなんてないのだろうと思う。とはいえ、どんなに熱い想いを内に秘めていたとしても、特別なことは望まない。ただ、力いっぱい抱き締めたいなと思う。ときどき同じ空気が吸えたらいいなと思う。ただそれだけ。ひょっとしたら、そういうことが稀有なことなのだろうか。でも、そんなこころを貫くためには、さまざまな試練が待っているのだろうな、とも思う。でも、それでいいのだとも思う。やっぱり、どう頑張っても信念は変えられそうもない。
ところで。じぶんでいうのもなんだけど、わたしの悪いところは、やさしすぎるところかもしれない。いや、きびしすぎるのだろうか。筋の通らぬことは、なんとしてもできないが、いっぽうで、家族のことは、心の棒は決して曲げることなく、労力だけは惜しまずいてしまう。だから、むちゃむちゃ疲れるときもあるけれど。おんなどうしは、みな役者であるのだろう。いいたいことを、ぶちまけて、すっきり割りきって、案外平然といられるのかもしれない。でも、田舎には温もりと一緒にいくつかの煩わしさもやってきて、いまはそれと悪戦苦闘中。我ながら、つくづく無器用者だと思う。
にんげん、自分の身にふりかかることは、いいこともそうでないことも、きっとみんななんらかの糧であり、支えでもあるのだろうなと思う。弱くないひとほど、いろんな試練に試される。でも、またそれがさらに深くしてくれる栄養にもなってしまう。きっと、そういうことなんだろうなと思う。かっこいいひととそうでないひとを見ていて思うのは、年齢とともに、その差はどんどん大きくなっていくのだろうなということ。悲哀と含羞と泣き笑いはみんな同じ意味なのだろうなということ。そんな気がする。
ときどき思う。迷ったとき、悩んだとき最後はなにを頼りにするべきか。たぶん、それが信念なんだと思う。じぶんのこころにある、しんのぼう(心棒)なんだと思う。父なら、どう言うだろうかと考えることもある。ただ、わたしには、この家の最後の代になるにせよ、しかるべき誰かに譲るにせよ、責任はあるのだろうなと思う。不思議と家の用事は苦にならない。朝5時に、東の空の美しい弧を描く月に送られて家を出るのもいいなと思う。飛行機の窓から、息を飲むほどまぶしい朝日が海にきらめく景色を目の当たりにして、ほんの刹那でも、「ああ、このままあのひかりのなかに吸い込まれてもいいな」と思える瞬間があるのも悪くないなと思う。むしろ、嬉しいとさえ。
それでも思う。わたしはあなたを愛している。でも、愛があるならああしてほしい、こうしてほしいなんて思わない。たぶん、それはついに愛に出会えなかったひとが思うことだろうなと思うから。しあわせとは、ひとに自慢できるかいなかで決まるような薄いものではないとも思う。おんなにとって、愛に出会えること、最愛のひとを愛し抜くこと以上のことなんてないのだろうと思う。とはいえ、どんなに熱い想いを内に秘めていたとしても、特別なことは望まない。ただ、力いっぱい抱き締めたいなと思う。ときどき同じ空気が吸えたらいいなと思う。ただそれだけ。ひょっとしたら、そういうことが稀有なことなのだろうか。でも、そんなこころを貫くためには、さまざまな試練が待っているのだろうな、とも思う。でも、それでいいのだとも思う。やっぱり、どう頑張っても信念は変えられそうもない。
ところで。じぶんでいうのもなんだけど、わたしの悪いところは、やさしすぎるところかもしれない。いや、きびしすぎるのだろうか。筋の通らぬことは、なんとしてもできないが、いっぽうで、家族のことは、心の棒は決して曲げることなく、労力だけは惜しまずいてしまう。だから、むちゃむちゃ疲れるときもあるけれど。おんなどうしは、みな役者であるのだろう。いいたいことを、ぶちまけて、すっきり割りきって、案外平然といられるのかもしれない。でも、田舎には温もりと一緒にいくつかの煩わしさもやってきて、いまはそれと悪戦苦闘中。我ながら、つくづく無器用者だと思う。