そうですかぁ。ついに、誕生しましたか。それはよかった。ほんとうに。無論、女子が男子と同じ土俵に立つことへの深慮はとりあえずさておくとして。15年前のわたしなら、決して心中穏やかではなかっただろうと思う。今だから、素直に祝福できる。ひとは、みなそれなりに悔いを抱えていきている。野球における悔いもひとそれぞれに、生活のふとしたときに心にのぼるものなのかもしれない。思えば、あのカリブの島での9回熱投が出来たお陰で、それまでの幾つもの悔いに区切りをつけることができたんだなぁ~、と改めて幸運に感謝したくなった。あれは、浪人一年目の春だったように思う。あるプロチームが女子禁止の条文を削除したという。愕然とした。今思えば、ほんとにただのお笑い草にすぎないが、真剣に悩んだ。センター試験の点数稼ぎのためなどに、悶々としている場合ではないのではないか。それがあと5年早いか遅いかなら、人生が変わったのではないか、とまで…。尊敬するあの監督に手紙を書いた。何を書いたか思い出せないが、そういう想いを迷惑省みずひたすら綴ったように思う。恥ずかしい。


でも、9回を投げてわかった。確かに7回までは味方の好守にも助けられ2-1。結局、8回に先頭打者を歩かせてしまい、2点を失ってそのままセット。とはいえ、女子ということで、1ヤード半ほど、前から投げさせもらってである。左利きなので、踏み込む右足などはもうパンパン。殆ど気力だけで投げていた。無理だとわかった。男子の懐深い快諾のお陰で一緒にさせてはもらえたが、何かが違うんだとそこまでいってやっとわかった。(でも、そのときは、野球も仕事も同じということにまでは気づけなかったのだが…。)ともあれ。打者ひとりひとりになにを投げたかまでは覚えていないけど、サインをくれたキャッチャーや、即席で覚えたスクリューを褒めてくれた敵の4番打者や、幾つかのシーンは今も鮮明に蘇る。ほんとうに、貴重な体験だったのだと改めて思う。もし、サヨナラを迎えた場面の外野手など、もう捕球のみ、矢のような送球が一切要らない守備の場面だけなら、出来ると思う。女子でも。でも、現実にはそんな場面はまずないわけで。つまりは、それぞれが別のボールを打つゴルフと違って、皆が一つのボールを追いかける野球は、少なくともひとに魅せるレベルではかなり難しいものだと、思う。


それでも、ふと思うことがある。もし、赴任直前の交換がなければ…。皮肉にも、橋の向こうとこっちで入れ替わった相手は、「3年で辞める」と言っていたのに、私が熱望して止まなかった運動部で、活躍しているのを目にして、何も思わないといったら嘘になる。勿論、嫉妬ではない。母校の中学で、「いつかきっとメジャーリーグを取材をするんだ」と講演した半年後には、ゴルフに逃げていた。無論、人生、なにが幸で、なにが不幸かなんてだれも簡単にはわからない。哀しいまでのいじめ(いじめとは認めたくはないけれど)がなかったら、もっと鼻に付く人間になってしまっていたかもしれないし。ゴルフに出会うこともなかっただろうし。男子と同じ土俵で戦うことに何の疑問も感じないまま今もいたかもしれない。そして、病気にも気づけずいたかもしれない。すべては、「たら・れば」にすぎぬのだが…。それでも、ひとはやっぱり昔を振り返ることを全くなしに前だけを見ていられるほど、強くはないのであろう。ときどき、そんな風にひとりこっそり目頭を熱くするときもあるのだ。「いま、生きている。それだけで充分ではないか。」あるエッセイの中で目にしたその一文が浮かぶ。でも、でもやっぱり昔をおもい、そして先のこともあれこれ気を揉んでしまうのが、ひとのこころなのだろう。なんとも厄介なものである。切なく、哀しい。