旅はひとにいろいろなものをくれる。たとえば、自分をふくめてひとを見つめなおす機会などもそのひとつではないかとおもう。それも日常ではなかなか気づきにくい貴重な機会を。また。ほとんどは、些細なことばかりだが、いくつもの判断や決定を繰返すことができるのもいい。それも、ひとつの愉しみというか、面白さというか。そう、ゴルフとおなじように(かもしれない)。もちろん、ミスや早とちり、誤解が生む悲劇もたくさんあって、自分の鈍くささ、思慮の浅さなんかを何度も気づかされる。手際の大事さや、用意の大切さ、一方で、でたとこ勝負の勇気や醍醐味もある。かくのごとく、つまりはたくさんのことを教えられる。そこで思うのは、旅は、ほんとうの旅はひとりでするものではないか、と。なぜなら、旅は、自分やあるいは同伴者の時間を占有したり、埋めるたりするためのものではなくて、創造に満ちたあたらしい時を刻むため、といったら少し大袈裟かな、ともあれ、いまそこに流れる時を味わい愉しむためのもののような気がするから。もっとも、いや、だからこそというべきか、人生のいう名の旅は、ひとりではいけない。最愛のひととするものなのだろう。なんてね。
池波正太郎さんが、ある著書(確か『男の作法』だったかな)の中で、ひとの時間を奪うことを本命として、つまりは、ひとの時間を(たとえ無意識でも)求めることで、幸せを実感しようとするのではなくて、(もっとも時間ではなくてもっと現実的なものかもしれぬが、ともあれ)相手の時間も尊重し、それとおなじくらい自分のそれも大事にし、佇む(ことを味わう)ことのできる女性は、一万人にひとりいるかいないかでないか、という意味のことをおっしゃっている。もっとも、実際の記述はもっと分かりやすく平易具体的に書かれているのだが。なるほど、確かに、5人中3人が同時に喋ったりしている、おんなたちのおしゃべりを見ていると満更、痛烈な皮肉でもないのかもしれない。女の喋り方なる本のタイトルは、よく目にするが、一度も手にとったことがない。でも、ふと、話し方はとても大切なのだ、と思った。まるで金平糖のように、見た目は華やかで、軽くて口にも運びやすいが、その実、噛み締めるほどの味もなく、食べ過ぎると舌が痛くなる。そしてあまりに積まれると、他人の子のビデオアルバムを無理やり見せられるような食傷さえなきにしもあらず。かくいう私も、からきし自信がない。もっと枝葉をうまく切り取れれば、もっと綺麗にできるのではないか、と自省してばかり。それにしても、おんなの話には、どうしてああも主語が抜け落ちるのか。すべての勘を総動員して集中しなきゃいけない第二外国語での会話よりも、時に多くの想像力を必要とするのだから。ほとんど推敲なしに、おしゃべりしているように書いているこれにしても然り。反省の種は尽きない。
母方の曾祖母は、江戸時代が終わる八年ほど前の生まれで、戦後も六年、90歳まで生きている。奇しくも、父方の曾祖母も、ちなみに父の育ての親なのだが、おなじ頃の生まれで、これも80歳。祖父母の親が江戸時代の生まれとは。少なくない感慨がある。もっとも先ごろまで、自分の祖父母の名前さえ知らなかった。母の郷は、瀬戸内に浮かぶ小さな島で、最製麺業を営んでいる。もともとは猟師なのかはたまた農民なのか詳しく聞いたことがない。ただ、食事の作法をはじめ、ものごとの所作をものすごく大事にする父の家柄とは、かなり異なるのは事実である。父方の初代は寛保(享保の次)生まれで、文化(文政の前)の時代に亡くなっている。ひとは、どうしてある程度齢をとると、自分のルーツを知りたくなるのだろう。不思議だ。無論、知ったからといって、自分はこう生きなきゃいけないと、縛るつもりは毛頭ないのだが。でもやっぱり何か気になるのだろうか。代々の当主は不思議と七十三歳か八十歳で亡くなっている。江戸の昔ならかなりの長生きだろう。一方で、何人かの女性が、直系の如何によらず三十七歳の若さで。父の母もそうだが。なんでも、井戸で非業の死を遂げた者があっというから、何かの因縁だろうか。余りの符合の多さに少し驚く。してみると、先の病も見えない何かのせいかしらん。さほど深刻に考えているわけでもないのだが、ともあれ、ひとは、じつに不思議なちからで導かれているようだ。ふと、そんな風に思わぬでもない。