居ぬ間の洗濯。細かな意味はさておき。文字通りの洗濯を、どうにかこうにか無事終えることができ、ホッと胸を撫で下ろす。なにはともあれ、無事に苦難!?を乗り越えた安堵感と、解放感は有り難く、そしてほろ苦い。「人生はどこまでいっても上り坂」。若いころ、何気なく口にしたことばに、苦笑交じりに感慨。それにしても、なんとも生意気な口上だったと、自分でも思う。▼気のせいかもしれないけれど、見慣れた景色も、三月暮らすと、四季の移ろいの美しさにハッ息をのむ瞬間があったりして、なんとも不思議な感情が増す。ただの、旅人として時折訪れる街で味わうのとまた違った感じがする。たぶん、ずっと暮らしていて目に映る情景とも、また違おう。うまくいえないけれど、同じ景色にも、見る人の心模様が自然と映りこむのだろか。と、柄にもなくふと思った。
▼お向かいの家にも、お隣さんにも、やんちゃ盛りのお孫さんがふたりずつ。菊の丹精に余念のない隣のお祖父さんの、孫と一緒に自転車に乗っているときの、その嬉しそうが笑顔がなんともいえず。これは、勝手な憶測だけど。女の子とおじいちゃんも、ほほえましくて素敵だけれど、どうしても父親には敵わぬ寂しさがあるようで。その点、男の子は、ちゃんとわかっている。おじいちゃんには、父親にはないものがあるって。そんな絆が見えるみたいで、見ている方も心が和む。なあんて。素敵な団欒を眺めながら、ふとそんな想像をめぐらしてみた。▼「『子どもを愛する力』をつける心のレッスン」の作者によると、なんでもひとは最低20人の愛がいるのだという。小さいときに、親以外のいかに多くの大人に触れて、愛情を注いでもらえたかが、愛の器の大きさを決めるのだとか。(蛇足だが、同著を読むと、少し心が軽くなる。そこまで、機械的に述べられるものではないとも思うが、客観的な女心の分析としてはかなり参考になるかもしれぬ。もっとも、作者は男性なのだが。)
それにしても、子どもの無邪気な笑顔ほど、ひとをしあわせにするものはないですなぁ~。
▼お向かいの家にも、お隣さんにも、やんちゃ盛りのお孫さんがふたりずつ。菊の丹精に余念のない隣のお祖父さんの、孫と一緒に自転車に乗っているときの、その嬉しそうが笑顔がなんともいえず。これは、勝手な憶測だけど。女の子とおじいちゃんも、ほほえましくて素敵だけれど、どうしても父親には敵わぬ寂しさがあるようで。その点、男の子は、ちゃんとわかっている。おじいちゃんには、父親にはないものがあるって。そんな絆が見えるみたいで、見ている方も心が和む。なあんて。素敵な団欒を眺めながら、ふとそんな想像をめぐらしてみた。▼「『子どもを愛する力』をつける心のレッスン」の作者によると、なんでもひとは最低20人の愛がいるのだという。小さいときに、親以外のいかに多くの大人に触れて、愛情を注いでもらえたかが、愛の器の大きさを決めるのだとか。(蛇足だが、同著を読むと、少し心が軽くなる。そこまで、機械的に述べられるものではないとも思うが、客観的な女心の分析としてはかなり参考になるかもしれぬ。もっとも、作者は男性なのだが。)
それにしても、子どもの無邪気な笑顔ほど、ひとをしあわせにするものはないですなぁ~。