女の子は、物語の中で生きている。あらゆることをひとつの大きなお皿の中で考えることができる。子育てと家事を両立してきた遺伝子のお陰かしらん。黒川伊保子氏の本で教わった。たとえば、積年の油よごれがこびり付いたガスコンロを磨きながら、世界平和について考える。というのは、ちょいと難しいが、不可能ではない。確かに器用だが、ともすると俯瞰的視点、長期的観点が欠落する。要するに、了見が狭い。その最たるが、他人の噂話の収集に躍起になるひとだろう。本人が気づかなければある意味それも幸せなのだろうが、傍から見ればきわめて不幸に映る。ひとと比較することでしか得られない満足は、何かが違う。▼たとえば、古備前に生けられた一輪の侘助。これに、美を見出すのこころを持てるのは、まさにこの国が育んだ美意識のお陰。寂しさのなかにも、凛とゆるぎないなにかを見て、こころ慰められる。わびさびの境地だろう。協調というのは、誇れる美学だ。だが、表面はたとえ波風なくとも、水面下では並々ならぬ苦悩と苦労が隠れていることが少なくない。む
しろ、それあってこその美であり、強さであろう。表面の真似だけで満足するかりそめに踊らされている間に、本物を見る眼を無くしてしまっては元も子もない。
▼世界のジョーク集だったか、難破しそうな船から飛び降りてもらう説得をするときに。「ヒーローになれますよ」と言えばいいアメリカ人と、「紳士になれますよ」の英国人、そしてイタリアの人には「女の子にもてますよ」だったか。フランス人のは失念したが、さて、日本人はというと、「みんな飛び込んでいますよ」だとか。なんとも、痛烈な皮肉だが、実に的を得ていると思った。「幸せであるか」と聞かれて、「いいえ」といえるだけの勇気がなかったのと違う?なんて、ちょいとお臍曲がりに考えなくもないけれど。ともあれ。▼前世の契りというものがあるのかどうかわからないけれど。ひとに生まれてもほんとうの愛にめぐり会えずに一生を終える人も少なくないという。時を経るごとにますます深まる愛もあるのだと、肌で感じることのできるひとは、至福である。時を経るごとに佇まいからこぼれでる雰囲気に現れるのかもしれない。幸せな女性は100メートル向こうを歩いていてもわかるもの、という塩野七生氏の言は、天晴れなほどに、言いえて妙だと、思う。
しろ、それあってこその美であり、強さであろう。表面の真似だけで満足するかりそめに踊らされている間に、本物を見る眼を無くしてしまっては元も子もない。
▼世界のジョーク集だったか、難破しそうな船から飛び降りてもらう説得をするときに。「ヒーローになれますよ」と言えばいいアメリカ人と、「紳士になれますよ」の英国人、そしてイタリアの人には「女の子にもてますよ」だったか。フランス人のは失念したが、さて、日本人はというと、「みんな飛び込んでいますよ」だとか。なんとも、痛烈な皮肉だが、実に的を得ていると思った。「幸せであるか」と聞かれて、「いいえ」といえるだけの勇気がなかったのと違う?なんて、ちょいとお臍曲がりに考えなくもないけれど。ともあれ。▼前世の契りというものがあるのかどうかわからないけれど。ひとに生まれてもほんとうの愛にめぐり会えずに一生を終える人も少なくないという。時を経るごとにますます深まる愛もあるのだと、肌で感じることのできるひとは、至福である。時を経るごとに佇まいからこぼれでる雰囲気に現れるのかもしれない。幸せな女性は100メートル向こうを歩いていてもわかるもの、という塩野七生氏の言は、天晴れなほどに、言いえて妙だと、思う。