暑さ寒さも~とは、よくいったものだとつくづくおもう。夜なべをするとき、あまりの肌寒さに綿入れをひっぱりだした。気が付けば、田はすっかり刈り入れを終えている。30余年変わらぬ景色。変わったといえば、広がる田園の外周に、いくつかの新しい家と施設が増えたこと、遠くを走る列車が、汽車から電車になったこと、一時間に一本だったバスが一日に二本、来月からはついに一本になることぐらいだろうか。今年は、栗と茗荷が豊作。毎晩夜なべに仮ゆでした皮を剥いている。栗の香を嗅ぐと、運動会の思い出と重なる。▼子供のころの愛読書を開くと、28年前11月4日付けの新聞が貼られている。22年間の記録と、記者会見風景の写真。父が切り取ってくれたものらしい。好きな本は何度も何度も読む子供だった。そのひとの父上は、医者も電気もない貧しい村で育った。だから、ふたりの息子は医者と、電気技師にするのが夢だった。兄は医者になったが、弟には別の、それも非凡な才がある。それでも電気課のある公立を受験した。もし合格していたら、電気技師になら
れていたのだろうか。

▼読み始めた当時は、ルールさえろくに知らなかったのに。どうしてこれほど好きになったのだろう。自分でも改めて不思議に思う。三つ子の魂ではないが、最初に出会った本との縁も、少なくない。そんな気がする。ところで。男のひとが、一度はしてみたい職業の3つ。ひとつは連合?艦体の船長、もうひとつはオーケストラの指揮者、そしてプロ野球の監督。だそうだ。いつか読んだ。そう記憶している。「男がその人生を噛みもませてゆかざるをえないものとして、権力がある」。司馬さんは最後のエッセイでそう遺されていた。▼世界でもっとも素敵なひとと出合い、そして愛すること以上のことがこの世にあるとはとても思えないおんなには、とてもわからない世界のように映る。でも、たたかいの世界に50年間、身を置き、とてもしあわせだった、たのしかったと振り返ることのできるひとは、ほんとうに素晴らしいと思った。まさに偉人だ。ときとして、ひとの上に立つひとは、非情ももちあわせているという。もし、そうでないとしたら、そのひとにかかる心労、苦労はい
かばかりか。想像するに余りある。本来、「ごくろうさま」という言葉は目上の人に使ってはいけないのだが、ほんとうに幾多のご苦労、辛苦に耐えてこられたのでしょうね、そう思うと、それ以上に気持ちを表す適当な言葉が、浮かばない。