秋の夜長に降る雨は…。すこしさびしく、すこしせつない。でも、どこかほっとする音でもあるような。阿久さんがある地方文芸誌のエッセイのなかで。「夏の上に秋、秋の上に冬、冬の上に春が重なっている時期があり、しかもさまざまな重なり方がある」。特にここは、そういうあいまいな四季の幅が大きい地方である、と。人生の悲しさ、はかなさを感じるのは、やはり心のひだなんですよ、とも。歌謡曲は、どんなことも結局は受け入れ、向き合っていくしかない人生をたんたんとメロディに乗せて(教えて)いるんだ。精一杯の不器用で。ふとそう思った。▼あるところで、若い作家が、人生とは「今」の積み重ねで、もしかするとその「今」さえどこにもなくて…(あれ、続きはどう続くのだっけ)。うまく言い過ぎとも思ったけど、確かにそんな風にいえなくもない、と感心。
▼“山側環状”ができたお陰で、いえから、ただのひとつも信号に遭うこともなく、30キロ離れた高速の入り口まで行ける。あるいは、空港の手前まで、あるいは、風情ある花街のある界隈そばまで、行ける。考えてみたら画期的。無論、有料道路を使わねばならぬが、午後十時を過ぎると、無人になるので、すなわち無料になる。なんとものどかだ。もとよりワンコインなのだけど。片側の視界180度!?は一面穏やかな海が広がる。ちょっと自慢できる車窓の景色だ。ときどき、あえて用事を作っても、走りたくなる道である。▼伝説ですかぁ。もっとも、このプレリュードには、そんなでんせつの序章への願いが込められているのだけどな。なんてね。とある神社の参道を下ってきたところにある小さな甘味処。厠に洒落た看板。土産店も併設する。そこにあるキューピーさんの顔をした七福神。買うと「早めにお召しあがりください」と刷られた包装紙に包んでくれるのは蛇足として。黄色とオレンジ。どうしたってオレンジである。黄色というわけにはいかぬではないか。我なが
ら可笑しな心情だと、いつも似た場面がある度に苦笑する。▼キャッチボールは、こころの交歓、交響である、と、確かきのうどこかで読んでいたのに、またしても、どこだったか思い出せない。ひょっとして、夢のなか、だったろうか。ふ~。情けない。ともあれ、あしたもつづく。ともにがんばれ。うん、がんばりませう。
▼“山側環状”ができたお陰で、いえから、ただのひとつも信号に遭うこともなく、30キロ離れた高速の入り口まで行ける。あるいは、空港の手前まで、あるいは、風情ある花街のある界隈そばまで、行ける。考えてみたら画期的。無論、有料道路を使わねばならぬが、午後十時を過ぎると、無人になるので、すなわち無料になる。なんとものどかだ。もとよりワンコインなのだけど。片側の視界180度!?は一面穏やかな海が広がる。ちょっと自慢できる車窓の景色だ。ときどき、あえて用事を作っても、走りたくなる道である。▼伝説ですかぁ。もっとも、このプレリュードには、そんなでんせつの序章への願いが込められているのだけどな。なんてね。とある神社の参道を下ってきたところにある小さな甘味処。厠に洒落た看板。土産店も併設する。そこにあるキューピーさんの顔をした七福神。買うと「早めにお召しあがりください」と刷られた包装紙に包んでくれるのは蛇足として。黄色とオレンジ。どうしたってオレンジである。黄色というわけにはいかぬではないか。我なが
ら可笑しな心情だと、いつも似た場面がある度に苦笑する。▼キャッチボールは、こころの交歓、交響である、と、確かきのうどこかで読んでいたのに、またしても、どこだったか思い出せない。ひょっとして、夢のなか、だったろうか。ふ~。情けない。ともあれ、あしたもつづく。ともにがんばれ。うん、がんばりませう。