日々のささやかな嘆息ごとや、折にふれてふと思い立つささいなことがら。敢えて、文字におこすまでもないと、思うのだが、それでも、つかえつかえなんとか文字にしているうちに、たいしたことではないはずなのに、それでも晴れない靄のようなものが、自然に雲散霧消し、こころに穏やかな水面が訪れる。よくあることだ。そんな小さな機微を繰り返して、日々は過ぎていく。いつだったか、詩というものは、語るに語れないこころの叫びを、絞り出された言葉につむいだものだ、というのをどこかで読んだ。すると、メロディを帯びることを前提に作られる歌詞とは、似て非なるものなんだ。ただ、本来のそんなほんとうの詩を最近はほとんど見なくなった、と、その作者が嘆いていた。そう書かれていたのが誰だったのか、どうしても思いだせない。司馬さんだったろうか。▼夢十夜にでてくるあの仏像ではないが、あんなふうに、自然とこぼれ、あふれてくる言葉を書き始めると、自然にあとからあとから言葉が続いていく。面白いように。書きながら、あ~そういう考えもあったのね
、と自分で感心したりして…。そんなことはめったにない。夢で、思い出したが、夢というのは、いわば、映像版の詩のようなものだろうか。語るに語れない、そんな心象の断片が夢となって現れるのだろうか。つくづく不思議だ。ただ、夢の中だけは、実に面白いストーリーテラーになれるのだけど…。
▼『めぐり逢えたら』という映画の中で、ある女性があの『めぐり逢い』の映画がいかに素晴らしいかを涙ながらに説明している。それを少年を含めた男たちは、べつの生きものでも見るかのように眺めている。なんでそんなに涙できるのかさっぱりわからん、という風に。そのうち、男たちが『特攻大作戦』かなにかで、いかに素晴らしい戦いがあったかを興奮気味に話し出すが、今度は女性が、「なにそれ?」とあきれた風に笑みをこぼす。印象的なシーンがある。ただそれだけなのだが。たぶん、映画もそうだけど、本も詩も、あるいは思わず手にとってしまうものには、すべて縁がある。もし、違うとき違う場所だったら気づけなかったかもしれない。その素晴らしさに。なんど、思い直しても不思議なものである。縁とは。ひとはこれほど一途に想うことができるなんて。これをなんて言ったらいいのだろう…。
、と自分で感心したりして…。そんなことはめったにない。夢で、思い出したが、夢というのは、いわば、映像版の詩のようなものだろうか。語るに語れない、そんな心象の断片が夢となって現れるのだろうか。つくづく不思議だ。ただ、夢の中だけは、実に面白いストーリーテラーになれるのだけど…。
▼『めぐり逢えたら』という映画の中で、ある女性があの『めぐり逢い』の映画がいかに素晴らしいかを涙ながらに説明している。それを少年を含めた男たちは、べつの生きものでも見るかのように眺めている。なんでそんなに涙できるのかさっぱりわからん、という風に。そのうち、男たちが『特攻大作戦』かなにかで、いかに素晴らしい戦いがあったかを興奮気味に話し出すが、今度は女性が、「なにそれ?」とあきれた風に笑みをこぼす。印象的なシーンがある。ただそれだけなのだが。たぶん、映画もそうだけど、本も詩も、あるいは思わず手にとってしまうものには、すべて縁がある。もし、違うとき違う場所だったら気づけなかったかもしれない。その素晴らしさに。なんど、思い直しても不思議なものである。縁とは。ひとはこれほど一途に想うことができるなんて。これをなんて言ったらいいのだろう…。