とりとめのない、他愛ないおしゃべりもたいせつなうんどうのひとつなのだろうか。ときどき、ふと思う。ようやく、晴耕雨読がつらくない時節になったというのに。いささか元気がでない。昔から、誕生月に吹く風はとても好きだったのに。夏の疲れがでたのだろうか。少しばかり嫌なことがあったからだろうか。ともあれ、ことばがうまくつむげないのがいちばんつらい。ふ~。▼ほんとは、秋祭り本番の日のはずなのだが、昨今の若者減少のせいなのか、いつの間にか夏休み中の週末に変わってしまっていた。元来は、豊作を村の鎮守に感謝するためのお祭りだったのだろうが、稲刈りが終わってからでは、獅子を舞う子供たちが風邪をひくからか、どこの村でも9月になると順次、あちこちから笛と太鼓の音が響いていた。時々、飲めない若者が悪酔いして羽目を外しすぎるのがどこでも問題になっているらしいが。

▼と、いうわけでもあるまいが、家の敷地内に停めていた愛車に悪質なコインの傷が…。ひどい。まあ、新車でもないので、傷がついたというその事実よりも、そんな心無いことをわざわざしにきたものがいるということのほうが、気が滅入る。何より、凡その見当がつくのもそれに拍車をかけている。そして、再犯の心配に駆られなくてはいけないのが、最も嘆かわしい。▼その昔、父の兄が若くに亡くなり、その娘と留守宅の鍵を父が預かることになったとき、近所に住む従兄にあたる人物に蔵の鍵を預けた。だが、その人物は「他人のものも自分のもの」だったらしく、中のめぼしいものをほとんど持ち帰ったとか。生家に戻ることになった父が気づいて、激怒し、怒鳴りつけたが。ただそれだけ。田舎ゆえ最低限のつきあいは避けられない。しばらくしたある年の秋、稲刈り中のコンバインに巻き込まれ、片手の指が飛んでいった。確かにあまりにもわかりやすい因果~だったが。でも、ただ、それだけ。まさか、隔世遺伝でもあるまいが、幼いころから、言動に問題があった。無論、銀行
員のすべてが品行方正とは限るまいが、それにしても、言葉がない。そんなこんなで、十何年ぶりかで聞いた祭囃子の懐かしい響きは、たったひとりのこころない者のせいで、悲しい思いで塗りつぶされてしまった。

▼わが、尊敬するターシャおばあさんは、言っている。攻撃的で思いやりのないひとはなるべく遠ざけること。どうしても、関わらないといけないときは、いいことを考えながら、早めに済ませること。と。そうありたいと思う。世の中には、何もされないのに、やっかみだけでひとに害を与える人間が尽きない。何がいちばん悲しいといって、そんな嫌な思いに包まれている時間そのもの。マイナスのエネルギーで窒息しそうになる。だから、ときには、相手は海でも空でもいいから、思い切り腹の底から吐き出してしまうのも、必要なのかもしれない。