顔をあげると、窓越しに雨に濡れた露地の木々たちのみどりがみえる。三畳たらずの、本と緑に囲まれたこの小さな空間がものすごく落ち着く。もともと、母の仕事場だった4畳半の部屋を、中学に入る前、わたしが占領する格好で、勉強部屋ができた。南に隣接する縁側を二間ほどひろげる格好で、母の作業部屋が移動した。その後、私が家を離れ、元に戻る格好で4畳半が再び母の部屋となり、縁側の狭いスペースは母の材料と、わたしの本や洋服の物置と化していた。そこを片付け、部屋の隅に追いやられていた勉強机を窓際にもってきた。付け足しの二間なので、天井が低い。
不思議と、それがかえって居心地をよくしている。手を伸ばせば辞書が届く場所、自分だけの空間の、そのありがたさを改めて実感している。居心地のいい空間とは、きっとこういうことなんだ。と。
▼月にいちどのその欄を、少し、ほんの少しだけ楽しみにしている。と言っても、いつも、ページをめくってそれを見つけて、「ああ、もう一ヶ月が経ったのかぁ」と、時の流れに感慨しているのだけれど。ともあれ。文章の細かい内容というより、むしろ、ほかにはない、そこに流れている深閑とした森の奥のような、ゆったりとした空気に感心している。
日本人でないととても気づけないような繊細な情緒があふれていながら、でも、その弱さ小ささ、いまのひとたちの根の浅さみたいなものを、厳しい視点でとらえている、ような…。そんな姿勢が、静かだけれど強いメッセージ性ようなものが。そんな空間があることにまず感心し、そしてその空間に感心している。ともあれ、なくしてはじめて気づくような大切なものを懸命に伝えようとしているように見える。そんな空気が行間から自然ににじみ出るような、そんな文章の作家さんを、浅学ゆえか、ほかにあまり知らない。
▼ところで。ついにできた、小さきながらも仮住まいの簡易書斎に、ひそかに頬を緩めているのだけれど。もんだいがひとつ。確かにこの古い箱の画面ではこの文章が送れているのだが、ここで確認できうるどの画面にも反映されない>_<のだ。すでに、送ったはずの2つの文章は幻と消えてしまったのか?。技術の進歩には、こうして確かに恩恵を受けている身ながら、時代とともに互換性がどんどんなくなっていってしまう冷酷なツールの、信頼性に、首をかしげたくもなるきょうこのごろ。やっぱり、かみとえんぴつにまさるものはない。のだろうか。
不思議と、それがかえって居心地をよくしている。手を伸ばせば辞書が届く場所、自分だけの空間の、そのありがたさを改めて実感している。居心地のいい空間とは、きっとこういうことなんだ。と。
▼月にいちどのその欄を、少し、ほんの少しだけ楽しみにしている。と言っても、いつも、ページをめくってそれを見つけて、「ああ、もう一ヶ月が経ったのかぁ」と、時の流れに感慨しているのだけれど。ともあれ。文章の細かい内容というより、むしろ、ほかにはない、そこに流れている深閑とした森の奥のような、ゆったりとした空気に感心している。
日本人でないととても気づけないような繊細な情緒があふれていながら、でも、その弱さ小ささ、いまのひとたちの根の浅さみたいなものを、厳しい視点でとらえている、ような…。そんな姿勢が、静かだけれど強いメッセージ性ようなものが。そんな空間があることにまず感心し、そしてその空間に感心している。ともあれ、なくしてはじめて気づくような大切なものを懸命に伝えようとしているように見える。そんな空気が行間から自然ににじみ出るような、そんな文章の作家さんを、浅学ゆえか、ほかにあまり知らない。
▼ところで。ついにできた、小さきながらも仮住まいの簡易書斎に、ひそかに頬を緩めているのだけれど。もんだいがひとつ。確かにこの古い箱の画面ではこの文章が送れているのだが、ここで確認できうるどの画面にも反映されない>_<のだ。すでに、送ったはずの2つの文章は幻と消えてしまったのか?。技術の進歩には、こうして確かに恩恵を受けている身ながら、時代とともに互換性がどんどんなくなっていってしまう冷酷なツールの、信頼性に、首をかしげたくもなるきょうこのごろ。やっぱり、かみとえんぴつにまさるものはない。のだろうか。