うん。たぶん、大丈夫。う~ん、ちなみにこの場合の“たぶん”というのは、メイビーでも、パーハップスでも、プロウバブリィでもなく、シュアリィ、いや、限りなくノープロブレムに近い!という意味で、使っています。なにはともあれ、こうした貴重な時間を持てるようになったのが、何よりうれしく、何よりの進展(親展!?)。なんてね。たぶん、いつかも触れたけれど、おんなどうしの会話というのは、たいていが“ドーナツ”で、無論わたしだってそうしてるつもりなのだけど、そもそも本音がなにかわかっていない、ところもあって、だれでもどこでも、(はたからみると)温度がおんなじ、みたいで、だから多くのおんなのひとには、「ん?なんじゃ?」と思われるみたいで、それで、率直を好むひとには気に入ってもらえるけれど、陰と陽を使い分けるのが常のひとには警戒される。たぶん、相手のその辺の隠し具合を敏感に察知できてしまうから、そしてさらには先を読んで虚しい言動にはまったくみ向きもしないから、嫌われる場合もあるみたい。で、この世には自分
が嫌いと思うひとの数だけ、自分を嫌いなひとがあってむしろ当然。嫌われることをへとも思ってないところがあるのも一部のひとには、信じられないらしい。嫌いなものどうしは、当たらず触らず、敢えて否定も肯定もしないで、互いに距離を守る。ってのが、いつでもどこでもだれとでも、できたらいいですのにねぇ。少なくても、何もされないのに、自分からけんかを売りたいと思ったことなど一度もないのだけどなぁ。そんな鷹揚なところが、気に入らないひともいるのでしょうか。ところで。何の話?みたいになってしまったのかしら。ともあれ、きっと大丈夫。愛さえあれば、越えられないおかはない。なんてね。
さてさて。う~ん、もっかのところ、ちょっぴり飢えているのは、日常の他愛ないおしゃべりかな。そう、肉親以外との。いとしの“相棒”とはしゃべってるけど…ゞ。読書も、少しずつではあるけれど、できるようになってきたし。う~ん、でも見ている空が少し遠いのは、やっぱりさびしい。少し。ここは、頑張りどころ!なのでせう。いまごろになって、無理はしないように、というのを思いだしたけいこうとうおばさんなのですが。。案外たいへんな“お盆”を済ませ、近頃の雨天のおかげで朝晩の水やりからも解放され、訪問も一度でよくなり、かなり楽ちん、無事に夏をおえられそう。少しばかり酸素の少ない“高地合宿”を、しんどいと思うか、朝晩の涼風に恵まれる時間が増えたからいいじゃん、と思うかは気持ち次第。なのだろうなぁ。とはいえ、月いち、いや、週いちでも、確かに最高の環境なんだけどなぁ~。う~ん、ちょびっと、ほんのちょびっとだけ、ため息。ほんとは贅沢なため息なのだね、これは。
あるひとが、チームプレイということがらに触れたところで、ほんとうのものは(状態が)悪いときこそ顕現する、というのを書いておられた。決していまがそんな時とは、思っていないが、きっとそれは、しんどいとき、苦境にあるとき(いやそのどちらでもないけれど。)、にも通じるのかもしれない。きっと何かの役に立つ。真価はきっと、そういう時間の積み重ね、なのだろう。う~ん、ちょっとかっこうつけすぎました。お許しあれ。ちなみに、そうおっしゃっていたのは、川上哲治氏。『勝機は心眼にあり…球禅一如の野球道』から。です。
が嫌いと思うひとの数だけ、自分を嫌いなひとがあってむしろ当然。嫌われることをへとも思ってないところがあるのも一部のひとには、信じられないらしい。嫌いなものどうしは、当たらず触らず、敢えて否定も肯定もしないで、互いに距離を守る。ってのが、いつでもどこでもだれとでも、できたらいいですのにねぇ。少なくても、何もされないのに、自分からけんかを売りたいと思ったことなど一度もないのだけどなぁ。そんな鷹揚なところが、気に入らないひともいるのでしょうか。ところで。何の話?みたいになってしまったのかしら。ともあれ、きっと大丈夫。愛さえあれば、越えられないおかはない。なんてね。
さてさて。う~ん、もっかのところ、ちょっぴり飢えているのは、日常の他愛ないおしゃべりかな。そう、肉親以外との。いとしの“相棒”とはしゃべってるけど…ゞ。読書も、少しずつではあるけれど、できるようになってきたし。う~ん、でも見ている空が少し遠いのは、やっぱりさびしい。少し。ここは、頑張りどころ!なのでせう。いまごろになって、無理はしないように、というのを思いだしたけいこうとうおばさんなのですが。。案外たいへんな“お盆”を済ませ、近頃の雨天のおかげで朝晩の水やりからも解放され、訪問も一度でよくなり、かなり楽ちん、無事に夏をおえられそう。少しばかり酸素の少ない“高地合宿”を、しんどいと思うか、朝晩の涼風に恵まれる時間が増えたからいいじゃん、と思うかは気持ち次第。なのだろうなぁ。とはいえ、月いち、いや、週いちでも、確かに最高の環境なんだけどなぁ~。う~ん、ちょびっと、ほんのちょびっとだけ、ため息。ほんとは贅沢なため息なのだね、これは。
あるひとが、チームプレイということがらに触れたところで、ほんとうのものは(状態が)悪いときこそ顕現する、というのを書いておられた。決していまがそんな時とは、思っていないが、きっとそれは、しんどいとき、苦境にあるとき(いやそのどちらでもないけれど。)、にも通じるのかもしれない。きっと何かの役に立つ。真価はきっと、そういう時間の積み重ね、なのだろう。う~ん、ちょっとかっこうつけすぎました。お許しあれ。ちなみに、そうおっしゃっていたのは、川上哲治氏。『勝機は心眼にあり…球禅一如の野球道』から。です。