忙しいという文字は、こころがなくなると書くから、使いたくないのだけれど、それに、いそがしいときほど涼しい顔して、閑なときこそいそがしいような感じでいたいなぁ~なんて思ったりもしているのだけれど。。とはいえ、ともあれ、いくつもの忘れがたい励ましのことばにも支えられ、ようやく、どうにか、無事に、たのしむことも失わないで、折り返し点をつくることができた。いちじは、内心「ほんとに大丈夫かしら」と不安もあったのだけれど、目の前のことを着実にやっているうちに、“B&A”の方も、“快愎”の方も、なんとか順調に進んで来ている。順調でないのは、机に向かう時間の方だけかしらん(>_<)。夜、2度目の訪問を終えて、外に出てくると、日毎膨らんでいく、月が正面の山の上で迎えてくれる。帰宅して、“相棒”といっしょに空を見ながらたたずむひとときが、何よりのホッとできる瞬間。毎日が日曜というのは、ともすると、毎日が月曜ともなるもので、だからいちにちの中で、オンとセミオフのメリハリを自分でつくる、たいせつさを身にしみて
いい勉強に、経験なった。
熱いドラマは、あちらでも、こちらでも順調に続いている模様。からだを気持ちよく動かすことのできる、ありがたさ、しあわせを改めてしみじみ身にしみて感じている。ときに。恐らく、36年ぶりにして初めてではないかしらん、と思われる大きな箪笥の奥のほこりと格闘していたら、いびつに波打つアルバムのカバーが。手を伸ばして塵を払うと、中には毎日グラフが。東京オリンピックの臨時増刊号だった。44年前からの贈り物が、思いがけず届いたみたいで、不思議な感覚に包まれた。そんな風に丁寧なしまいかたをするのは、紛れもなく父の作法で、不意に出てきた“一冊”に、さまざまなおもいが一気にやってきて、ひとり胸をあつくした、そんなひとときだった。ありがとう。
いい勉強に、経験なった。
熱いドラマは、あちらでも、こちらでも順調に続いている模様。からだを気持ちよく動かすことのできる、ありがたさ、しあわせを改めてしみじみ身にしみて感じている。ときに。恐らく、36年ぶりにして初めてではないかしらん、と思われる大きな箪笥の奥のほこりと格闘していたら、いびつに波打つアルバムのカバーが。手を伸ばして塵を払うと、中には毎日グラフが。東京オリンピックの臨時増刊号だった。44年前からの贈り物が、思いがけず届いたみたいで、不思議な感覚に包まれた。そんな風に丁寧なしまいかたをするのは、紛れもなく父の作法で、不意に出てきた“一冊”に、さまざまなおもいが一気にやってきて、ひとり胸をあつくした、そんなひとときだった。ありがとう。