なして、こげにせわしないのだろう、率直な感想。かつて、ミニバスをやっていた子供が、練習を終えると毎日毎日夜遅くなるので、母親に「嗚呼、一日が30時間ぐらいあったらいいのにねぇ。お母さん」と言っていたのを思いだす。ゆっくり机に向かえる時間がない。時間に追われるほどに仕事があるというのは、贅沢でありがたいことなのだけど。ほんに、あっという間にいちにちが過ぎていく。まったくおんなじルーティンで。決して不満はないのだが、工夫をして、日曜日(気分)をいちにちでも作ることができたら…。いいのだけれど。とまあ、つまらない前置きはこのへんで。

さて。球題。すべてのカードをきちんと見たわけではないけれど、そして、枠が増えるとレベルが上がるというわけではないけれど、また、前回の記念回のような“怪物”がいないのはいたしかたないけれど、ともかく、「おっ、これは!」という片鱗の見える投手はいませんねぇ~。たぶん、スターというのは、ただ心・技・体だけでは足りないのだろう。ずば抜けたそれらを備えた上で、まだ“何か”がないといけない気がする。雰囲気そのものから滲みでる何か、自然と漂う何かを感じさせるもの。持って生まれるものなのか、自信や精神力といっしょに宿るものなのか、わからないけれど。無論、のびしろや、将来おお化けする潜在力は、ブラウンカンだけではわかりきれないだろうし。左腕が多いというので、期待していたので、ちょっと残念。27年前、ノーヒットノーランをやってのけ、しかも今も現役!のあの投手のように、にくいほどにタフでシビアな、あんな可能性を感じさせる選手を見いだすのが、いかに難しいか。もっとも、先ごろ現役を終えた、パイオニアの選手は、当
日は全く無名で舞台にも来ていない。いつしか、ゲームだけでなく、ひとをみるのが癖になっている。そう、采配力も欠かせないかな。たとえば、料理を学ぶのにまず絵画をみにいく、とか、ゴルフをするのに、合気道を、将棋を、あるいは戦国の歴史を学ぶとかいうような、深みのあるものが、垣間見えたりすると、見ていてうれしくなってくるのだけど。。

それはそうと。料理といえば。それを、漢字ドリルや計算ドリルと思ってはいけない。おなじ、宿題でも自由研究だと思えば、ちっとも退屈じゃない。むしろ、創意工夫、臨機応変、身体能力(とくに味覚と手際かな)を試されていると思えば、ゴルフでゲームを作っていくのとおなじくらい面白い。何より「おいしい、おいしい」と甲斐をくれるふたり!?の存在も大きい。やっぱり、食べたことのないものは作れない。いろいろな味にあったことがあるというのはとてもありがたい。ちゃんと、舌が覚えているものですねぇ~。感覚だけで、それらに近い味が再現できたときはどれほど嬉しいか。かように、日々、修業の身であります。