「ともかく、この~は、強制力のある母親の支配から逃れた喜びが大きく、いつでも好きな時に、好きなだけ本が読める自由を初めて獲得し、シンプルな山小屋風生活をスタートさせたのである」と、書かれているのは、福井謙一氏の奥さま、友栄さんで、『ひたすら』の中にある。いつの時代も、母と娘の健全な!闘争はつきものなのかしらん。もっとも、書かれている時代は戦後まもなくのころ…。それに、決してわたしの言ではないので、念のため。それより、回想調の少したいくつなお話かと、思っていたら、読み進むにつれて、珠玉のことばや感性が溢れていて、感心しきり。何より、少女時代、親が真剣に悩むほどの、お転婆さんだったというのも、より親近感がわいて嬉しかったのかもしれない。

ともあれ、ふたりきりの特命係!ならぬ、留守番係がスタートしたわけで、若いおばさんの方は、内閣改造!じゃあなくって、ミニミニクリーン大作戦!にのりだそうかと、ひそかに張り切っている。ダスキンにも負けないくらいに。もっとも、大好きな熱戦の中継が始まったら…、と思うと、いささかの息抜きがあるよな気もしないでもないのだが…。でも、ときどきは、土の匂いに囲まれる、木の家で眠りにつく、星空の綺麗な空気をいっぱい吸う、っていうのはいいものですね。自然の中の生きものたちに、触れるというのは。透明感あるエネルギーや、目に見えない大切ななにかをもらえる気がして…。
一方の彼の方はというと、いつもの味とはちょいと違うのに、いささか不安顔。「ねぇ、大丈夫?ちゃんとやれるの?」って、こちらの腕のほどを尋ねたそうにしているように、見えなくもなく…。それにしても、彼らのやさしい気持ちって、言葉がなくてもいたいほど通じるもので…。だから、よけいに気持ちがわかったとき、伝わったときの嬉しさは、なにものにもかえられないよろこびになるのだろう。気持ちに素直に、ほんとうに好きなものを好き!と言える素晴らしさ、そして好きなものがある、想うもの、ひとがある、そのかけがえのなさを、改めておもう。