是非、紹介したい逸話がある。城山氏に教えられた。氏は、「強い感銘を受けた本」と。それは、グスタフ・フォス『日本の父へ』(新潮社)から。フォス氏の父は、ドイツの炭鉱夫だった。息子のできがいいので、無理して工学系の学校へ行かせたが、その息子が神学に興味を持ち、神学校へと進路を変えてしまう。それでも、その父親は一言も文句をいわず、黙って送り出す。ところが、神学校を出た途端、息子ははるか日本への布教を命じられた。何のための教育、何のための親の苦労かといいたいところを、父親は何もいわずに送り出し、そのまま数十年。ついに、父子が再会することはなかった、という。ここからは、城山氏の文。親にとって子供とは、本来そういうものでなかったかと、ふと考えさせられる話である、と。さらに、親たちが、それぞれ個人生活をまっとうし、子供を個人として主体的に生きさせる。親と子の関係をそういう目で洗いなおすことが、いまわれわれの社会でも必要とされているのではないか、と。


まさに、父親の愛、深い想いを知らされるような内容だと、氏に負けないくらい感銘を受けた。世の母親に、これだけの愛をもてるひとは、そうはいないだろう。とも、思った。まだ、親になったことはないので、実感をもってわかるのは、子の立場としてだけだけど、でも、もし、いつか親になることができたなら、この逸話をいつまでも覚えておきたいな、そう思った。で、蛇足だが。もし仮に、わが母がこんなに出来たひとだったら。そしたら、きっと、まだまだ、かっこいい肩書きに憧れ、海外赴任、海外留学という響きに、自分から逃れられるかもしれない甘えをすり替えてしまっていた20代に、鞄ひとつでどこか遠くへ飛び出していたかもしれない。そして、日本人であることの誇りや、和の様式の素晴らしさに気づくのがもっともっと遅れていたかもしれない。くだらない、「たら・れば」にすぎないが、そう思うと、やっぱり母はあの母のままでよかったのだなぁ、むしろ、感謝しなくちゃいけないなぁ、なあんて、思って、ちょっぴり苦笑い、している、きょうこのごろ、なのでもあるしだい。


さて。ことしも、熱い舞台がやってきますねぇ。2年続けて劇的な決勝の対戦があっただけに、期待が膨らむ。とはいえ、あの”怪物”のまさに独壇場だった、10年前の記念大会に比べると、今年はややスター選手が少ないか。だからこそ、混戦必至。どこが勝ってもおかしくないのだが。個人的には、77歳のカムバックを知ってから、もうなんとしても、再び決勝まで進んで欲しいなと、願っている。やっぱり、百戦錬磨のベテラン指揮官がいると、試合そのものの雰囲気が違う。まかせるところは、選手にまかせる、締めるところは引き締める。そのバランスがいいというか、自然にみどころも生まれるというか、その、メリハリの利いた采配に学ぶところが多いので、楽しみ。どんなときも、最期まであきらめない、熱い試合をみるたびに、思わず力を入れて応援してしまうが、実は、そんな試合に、観ているほうが応援され、励まされているのかもしれない。さて、ことしは、どんな綺羅星が誕生するのだろうか。