はたして、こういうのを“無心”というのだろうか。恐らく、違うけど、ともあれ、何をするでもなく、ただ、ぼーっと時が流れる、休日の、あるいは、夜の時間。言葉で、何かを考えているような気もするけれど、実のところ、何も考えていないような、むしろこころのどこかで、何も考えずにいられる、いまこのときがたまらなく、いとおしく、たいせつな時間のように感じているような。あえて、こうして説明するのも難しいくらいで、ありのまま、とにかく、流れに逆らわない、そんな時間の存在が、とてもありがたくって、うれしいような、そんな感じ。「ああ、~をしなければ~」って、思うことのほとんどは、イコール「いまは、したくない、やりたくない、たぶんできない」って本音の暗号のような気もするし。なので、自然にそれができるときまで、時にまかせる。ってのがいいみたい。もっとも、いま言っているのは、お部屋のお掃除、とか、そんなレベルの事柄を斟酌!?しているのでるけれどもね。で、ついに、それまでしばらく「見なかったことにしておこう」スペース!?だったところの片付けが、見事達成されたときの、あの清々しさたるや、これも、ひとえに、これまでサボってこられたたまものかしらん。なあんてね。そんな折りしも、まるでご褒美のように、ベランダの空に色とりどりの華や滝。ほぉ~。なんて、贅沢なのでせう。こんな夜もあったのね。
欲ですかぁ。いまごろとつぜんなんだけど。いつか流行ったなんとかメーカーというのに、あくせすしてみた。恐る恐る自分の名前を入れてみると。なんたることか。その文字一色。ふ~。ちょっとしょっく。ちょっとがっかり。でもちょっとあんしん。ひとさまの名前はとても入れる勇気がなかったので、自分でいつか考えたペンネームやら、両親の旧姓のやらを、しばし、とり付かれたギャンブラー!?みたいに。。。満更、当たっていなくもないきがするのが、機械ごときに、ちと口惜しいのだが。。。願わくば、愛とか、友とか、あるいは悲とか、秘とか、だったらいいのになぁ~って、機械とは知りつつ、少しムキになってしまった。そこいらへんが、それなのですかねぇ~。つまりは、あきらめのわるさ。ころんでもただでおきたくはない、ってところがあるのかしら。でも、それのないひとなんていないわけで、だから、むしろ素直ってことじゃない?って、精一杯の理路正論?を、無理やり捻り出そうとしているところが、やっぱりそういう単細胞!ってことなのでしょうか。そういえば、ゴルフにしても、ほかのスポーツにしても、誰もみていないところでやっても面白くない、って思っているところが確かにあるし。あまり、ひとがおもいつかないような、おもしろいことをかんがえてみたいなぁ~って、思っているところもあるし。それも、ひとつのよくなのでしょう。それはそうと、コインパークで全く知らない誰かの車の料金を払ってあげてるって、あまりひとができないことでしょうねぇ~。(--;)。(考えられる、ひととおりの、呆けと間抜けはもう全部やり尽くしたと思っていても、まだまだあるものなのですねぇ。)
ともあれ、ほんとうの、無欲・無心までの道のりはまだまだはるかかなた。。。のようでして。あるいは、もしや、なるべく、目立たず、何もしないでいたいよく、それを無欲とは、いわぬでしょうしねぇ。。たしかに、人一倍ねむりたいよくなら、あたっているけれど。。。清々しい気分で、夏の夜風の涼しさみたいな、さわやかな一文をと、思っていたのに、なんだか、蒸し暑くて、寝苦しい熱帯夜さながらの、冴えない内容になってしまって、我ながら、深く(不覚?)反省。