浪人生のころ、毎年この時期になると、現役で地元の大学に進んだ友人から、絵葉書が届いた。ユースホステルでアルバイトをしながら、全国を旅していると。一年目は、確か、一面ラベンダー畑の一葉だった。小さいころから見ていたドラマの舞台に是非来てみたかった。ついに来たぞーって、記されていたっけ。「いいなぁ~、早く大学生になりたいなぁ~」って、そのハガキを眺めながら、嘆息していたのを思い出す。彼女は、私よりも成績がよく、第一志望も私と同じ大学だったけど、後期試験には受からず、下に兄弟がたくさんいるというので、結局、地元の大学に進んだ。ジャーナリストという職業があることを知ったのも彼女からだったが、でも、彼女は、大手スーパーの社員を経て、今では双子のお母さん。我が家から、北に20キロは優にあるはずの、彼女の家に自転車で遊びに行ったことがあった。そこで、彼女に「是非、これを観て!」と、録画したスタンド・バイ・ミーの映画を彼女のおじいちゃんと一緒に観た。それから、帰ってきた弟たちと、裏庭で、キャッチボールに励んだ。ちょうど、ルーキーだった選手の投げ方を真似て投げると、ボールが速くなるんだよって、背中をいったん打者に向けてからからだをひねって投げてたっけ。あれからもう、20年近くになるんですねぇ~。(そうそう、終わってからふと見ると、ジーンズのチャックが開いてて…。そのジーンズは今もはいているけど。なんだか、どうでもいいことはよく覚えているものですねぇ~。それにしても。)


我ながら、こののーてんきは、なかなかのものだと、ひそかにありがたくも思っているのだけれど。いまだかつて、自分がどーしてもかなわないと思える女の子にお目にかかったことがない。もちろん、見た目ではなく、運動神経で。といっても、25メートルをズルしないで泳げたことはないし、いまだに、恐らく、プールに頭から飛び込めない意気地なしだし、だから、地面に足がついていないとだめで、たとえば頭と足の位置が入れ替わるような(マットとか、鉄棒とか…)ものは、ダメだし、持久力を必要とするものもダメだし、多分、反射神経というか、球技に限るといってもいいのかもしれない(ただし、ゴルフは除きます!--;)。そんなひじょーに、身勝手な解釈で、自信を持ってしあわせでいられる、というのも、単におつむがめでたい、だけのよーな気もするけど、ともあれ。かつて、ひとりだけ、お~この子は凄いと思ったのが、研修生時代の同僚で。無論、経歴は何倍も向こうが上。歳はひとつだけ私が上。車の運転も。「おっ!」と思うほど上手くて、特に、バンカー、アプローチとパターは、プロも認めるほどの腕前で。そして、もっと凄いのが、どこへ行く道順を聞いても、即座に、ポイントとなる信号の名前を正確に覚えていて、実に勘がいいというか、センスがいい。高校時代は不良だったらしく、一度中退して、定時制に入りなおしたとか。でも、推薦の大卒の子なんかより、ずっと頭がよかった。一度まわった、コースなら、ほとんどのコースの順番とグリーンの形状が頭にしっかり残っているから、舌を巻く。ショットの正確さがあって、瞬間湯沸かし器!でなかったら、きっと、あっさりプロになっていただろう。


いつも、父が言っていたことがある。わたしは、小さいころ、ただのいちども、故意に障子や襖を破ったことはないんだよ、って。もう、耳にタコが出来るほどだったから、「ハイハイ、手を伸ばして破りそうになると、父さんがつまようじで、手の甲をチクッとやったんでしょ」って。そりゃぁ、痛いことはしないでおこうってなるでしょ、いくら赤ん坊でも、って、ずっと何のこともなく思ってた。つい、最近になって、ハタと気づいた。どうして、今までわからなかったんだろう。ちょっと、泣きそうにさえなった。つまりは、動き回るわたしのそばにずーーっと、眼を離さずにいてくれたってことに。まったく、記憶にはない。母に尋ねると、「そうそう、家の前が国道だから危ないといって、ずーっとあんたの後ろをついてまわってたよ。父さんは」。ひょっとしたら、父は、そのことにわたしが気付くだろうかと思って、思春期になってからも、時々思い出したように、そんな話をしていたのだろうか。そう思うと、胸が少し詰まった。いまだに、ひとを疑うこともなく、いつも気楽すぎるほどのーてんきに、なんとなく、誰かにいつも守られているような感覚が持てるのも、記憶のない時代のそんな時間の、お陰が随分とあるのだろうか。3歳までの時間の過ごし方がその人の未来をつくる、という意味のことをどこかで聞いたことがあって、改めて、じんわり、胸にひろがるものを感じた。子供の時間をそっと守ってあげること、これって、とても大きなことなのかもしれない。