それにしても、あぢー。25があって27があって、29もあって、そして30とか31とかいうならまだいいが、27やそこらの次がいきなり、33や34では、あぢー。ちとこたえる。でも、前年のあの猛暑を耐え抜いたのだ、それぐらいがどうした、とは思うものの、馴れぬ身にはちとあつい。これで、梅雨明け前というのだから…。でも、こどものころって、どうしてあんなに元気だったのでしょう。いちにち遊びまわって、汗もかいて、喉も渇いたけど、夜になったら、コテンと寝て…、もっとも、夏になると、頭の位置がまるで時計の短針のようだねとはよくいわれたけど、それでもぐっすり。朝になったらまた元気。う~ん、どうしてか。子供にはべつのパワーを蓄える泉でもがあるのかしらん。だから、夏はいちばん好きな季節だった。大好きなアイスクリームや、スイカや、レーコー(関西ではアイスコーヒーのことをこう呼びます)に、たくさん恵まれたし。ところがどうだろう。いまでは、夏がまだ来る前から、早く赤とんぼが、涼しい秋風がやってきてくれないかと、そればかり願っている。ちょいと、いけませぬなぁ~。でも、そういえば、甲子園にいけた夏は、猛暑だったはずだが、ちっとも暑くはなかったっけ。要は、気の持ちようということなのでしょうかねぇ…^^;。


ちなみに、表題は、夏の季節風のこと。「はえ」と読む。梅雨入りの頃のを黒南風、梅雨半ばのは荒南風、そして梅雨の終わりごろのを白南風というそうな。そして、秋の気配がするときには、色なき風という言葉もあるそうで。風にも色があるのですねぇ~。そういう風雅な話を聞くと、軒先の風鈴を揺らす風にも、日によって、豊かな表情があるように思えてきた。やっぱり、自然の風にまさる涼風はないよねぇ~と、きょうもやせ我慢の熱帯夜なのではあるけれど…。そうそう、夏は夜。月の頃はさらなり。~ともいうではありませぬか。。。う~ん。とはいえ、電気を灯すだけでも、温度が上がる、額を流れる汗の粒が増える。そんな気がする…。そんなわけで、いつもはどこを削って短くしようかと、四苦八苦してるのに、まるで、珍しく机に向った高校生みたいに、気もそぞろ、筆を持つ手がつかえてばかり。。。ほんとは、「ポイントカードの数だけ運が逃げる」。ほら、「カギの数だけ不幸がある」って歌詞があったみたいに、って、無駄話をするつもりだったのだけど、甚だ無粋な感じがして…。それより、たとえば「花氷」、「水中花」。昔の人は、からだは暑くても、こころを涼しくすることに、とても長けていて、それを風流っていうのだろうなぁ~って、しみじみ思う。いまは、ただエアコンのボタンを押すだけ。。なんだか、人工的な涼しさと引き換えに、目に見えないたいせつななにかが、さびしくなってしまっているようで…。ちなみに、厄除けにも、効き目のあるという、ほおずき。鬼灯とも書くそうで。怪しげな赤い提灯(鬼灯)まで見方にしてしまうたくましさ、たのもしさが、あの夕陽色にも見える赤い実から滲みでているように見えなくもない、かしらん。