「明石」、「若紫」、「朧月夜」、「花散里」、「夕顔」、「空蝉」、「玉鬘」、そして「光源氏」…。そんな名前の香水がある。千年イベントにちなんで作られたのだろうか?いちばん寒い季節に嗅いだときには、文句なしに「若紫」がいいと思ったはずなのに、夏になると、どうも「空蝉」の軽やかな香りのほうが鼻に心地よい。う~ん。こうなると、ほかのどれも捨てがたく、選択肢が多すぎると選べない、とかいうどこかのCMコピーさまさま。におちいって…。とはいえ、そもそも、香水なんて、まわりにいるひとたちへの思い遣りなのだから、自分がよくっても、まわりがそうでないなら意味がない。で、なんとしたか。少しでも迷ったときは、選ばない。ほんとはそれが最善の方法なのですけどねぇ~。それにしても、香りというのは、じつに奥が深い。そんな気がする。そういえば、季節ごとに、香りを含めた小さな和紙の栞を添えて、送る文があると聞いて感銘を受けた。なんて、風流なのでしょう。いつか、書いてみたいものである。「前略、光源氏様。~~。」なんてね。


ふ~。それにしても、さりげなく女性に空間を譲れる男性。この国にいったどれほどいるのだろうか。無論、相手が知らぬひとでも、おばあさんでも、である。もともとそういう土壌は、文化は、ないのでしょうか。抱擁挨拶の習慣がない東洋の国々では、知人に触れることにはことのほか、遠慮するのに、いざ、知らぬひととなると一転。モノと同じ扱いになる。(だから、満員電車に耐えられる)と、どこかで聞いた気がするけれど、それにしても、なんともかんとも、である。通りを歩いていて、あるいは文房具売り場の細い通路で、前方の御仁が、さっと身をよけて、通りやすくしてくれたな、と感激してみると、きまって日本人ではないのですねぇ~。そもそも、父から息子へ、そういう背中を見せる文化がないのか、それとも、そんな男子でもいっこうに構わないと、空間にも、紳士を育てることにもちっとも頓着できない女の方こそ悪いのか…。どちらにせよ、世界のひとたちと、並んでも風情がどこか見劣りするのも、そんなふだんのさりげない身のこなしに、多少の一因があるのではないですかねぇ~。だれも、見ていないと思われる人ごみの中での習慣こそが、最も大切でしょうに。ともあれ、おばさんの、くだらない愚痴かもしれませんが。。。


ところで。12歳のときに見たオリンピックはどうして、あれほど印象深いのだろう。オリンピックイヤーに生まれたせいか、どうも、節目節目にそれがやってきて、それぞれ思い出深いシーンと、そのときどきの自分のいた環境が結びついて思い起こされる。もっとも、8歳のときのそれは、不参加で(そのときはそうと知るよしもなかったが)、だから、余計に生まれて初めてみた大きな大会だったせいもあろうか。開会式で空から降りてきた宇宙飛行士や、スタジアムのメーンスタンド一面に現れた、壮麗なグランドピアノなど、圧巻のシーンが幾つも残っている。ちょうど夏休みだったのもあるだろう。ときに。いつか、どこかで、オリンピックは代理戦争!なのだ、と、肝の冷える真理を突いている方があったが、なるほど、確かにそうかもしれぬ。ひとは、たたかわずして生きられるほど、悟りをきわめ簡単に強くなれるものではないようだし。ま、ともかく、そんな無粋はひとまず置いておくとして。それにしても、メダルのために、身体を究極までいためつけて、勝っても勝っても、また勝ちたいと思い努力できるひとが、純粋に凄いと思う。いつでも、辞書が手の届く場所に帰っただけで、「あ~しあわせ」と呟いている、呑気者のわたしなどには、雲の上のひとに映る。その一方で、(分野は違うが)人気の絶頂で舞台の真ん中にマイクを静かに置いてさったあの方や、さきごろ、女王のまま、まだまだ余力を残してグリーンをあとにした彼女の、見事なまでの去り際に、ふかくふかく感銘を受ける。もしかすると、ほんとうの愛をもつことができたひとだけが、できる行動なのだろうか。ふと、そんな気が、しないでもない。