たぶん、いちど訪れたくらいでは、その庭に込められた、その庭が包含する、小宇宙の、あるいは、哲学的世界は、わからないのかなぁ~と、思った。ただ、そこは確かに、ほかでは簡単に得られないような、特別な静謐な時空間が拡がっているのを、なんとなく感じたっけ。あとは、見る側のこころの有り様しだいなのだと、言われているような気がした。日暮れどき、まわりの空気の様子が少しずつ変わっていく、数時間が、ただ佇むだけであっという間に過ぎていったのは、軽い驚きだったし、時がとまったような不思議な感覚に包まれていたけれど…。朝にはきっとまた違った風情の時が流れるのだろうか。特に、うっすらと雪をかぶった早朝などは、さぞ壮麗な光景になることだろう。
それにしても、こんな感じで佇むことのできる場所は、なかなかないのではないだろうか。気がつくと、自分のことや日常の些事なんてまったくどこかにいってしまって、ここがどこかとか、自分がだれかといったことなどどうでもいいような…、そして、ひとはどうしてあんなにあくせくするのだろう、とか、みいんなちっぽけな存在なのにねぇ~って、気がつくと、そんな感じで。といっても、その場ではそんなことばがあるわけではなく、不思議なくらいことばがいらない、でもとても安心する感じで、後で改めてその時を、思い起こして敢えてことばをひっぱりだすと、そんな感じかなぁ~という感じで…。なんとも、もどかしい説明しかできないけど、ともあれ、これは、体験したひとにしかわからないのかも…、しれない。
考えてみれば、いま生きているひとには、みんな親があり、その親にももちろん親があり、つまり、遡るとどこまでいっても、だれひとり子に恵まれなかったひとはいないということで…。このことに思いいたったとき、軽い衝撃さえ感じたのは、ちと大袈裟なのだろうか。それくらい、奇跡的な縁と運に支えられている気がして…。そして、七夕の宵。やや朧だったけど、生まれたての上弦のかかる、やわらかな夕月にも逢うことができたし…。柳の揺れる、風情満天!?の河原を歩くこともできたし…。こころの静かさも、ほんの少し実感できた気もするし…。なにはともあれ、いろんなことに感謝したい夜がある。
それにしても、こんな感じで佇むことのできる場所は、なかなかないのではないだろうか。気がつくと、自分のことや日常の些事なんてまったくどこかにいってしまって、ここがどこかとか、自分がだれかといったことなどどうでもいいような…、そして、ひとはどうしてあんなにあくせくするのだろう、とか、みいんなちっぽけな存在なのにねぇ~って、気がつくと、そんな感じで。といっても、その場ではそんなことばがあるわけではなく、不思議なくらいことばがいらない、でもとても安心する感じで、後で改めてその時を、思い起こして敢えてことばをひっぱりだすと、そんな感じかなぁ~という感じで…。なんとも、もどかしい説明しかできないけど、ともあれ、これは、体験したひとにしかわからないのかも…、しれない。
考えてみれば、いま生きているひとには、みんな親があり、その親にももちろん親があり、つまり、遡るとどこまでいっても、だれひとり子に恵まれなかったひとはいないということで…。このことに思いいたったとき、軽い衝撃さえ感じたのは、ちと大袈裟なのだろうか。それくらい、奇跡的な縁と運に支えられている気がして…。そして、七夕の宵。やや朧だったけど、生まれたての上弦のかかる、やわらかな夕月にも逢うことができたし…。柳の揺れる、風情満天!?の河原を歩くこともできたし…。こころの静かさも、ほんの少し実感できた気もするし…。なにはともあれ、いろんなことに感謝したい夜がある。