べつめい「飛竜頭」とも、いうそうな。もともとの語源はポルトガル語だとか。いまとなっては笑い話だが、そこにはいって最初のそれが、それだったとき、軽いジョークか、それともおちょくられているのかしら、と軽い眩暈をおぼえそうに、カーテンに囲まれたその小さなスペースの中で、なったのだけれど。それとて、元気なときには、とても思い付かないことでもあり…。またひとつ勉強になった。
ときに。ひとは、たとえばカーテンのあけかたひとつをとっても、そのひとのこころねというか、やさしさやそうでないものが、あらわれるのね、とも、そのときに感じたっけ。それにしても、ここにくるたびに思う。親子の相性も、天があたえたもうた試練なのかしらね、って。少し自虐的な思い。これもひとが、成長するための糧なのでしょうか。いつも、アッケラカンを取り戻すのに、少し時間がかかるんです。どんなかたに鑑ていただいても、ひとしきりため息をつかれた後で、「(最善の方法は)適度な距離をとることですねぇ~」と。これほど、ため息なのも、ある意味ひとつの奇縁なのだそうで…。あは~ぁ、とこちらもため息。どうしてあんなに、毒ばかりを吐くのでしょうかねぇ~、と。自分のこころの傷に気づけないひとは、得てして、ことばでひとを傷つけてしまうもの、と、これも河合氏の書にあったのだけど。そういうことなのですかねぇ~。ともあれ、かくも奇縁のわたしのことばでは、すなおに聞いてもらえないのは、いたしかたないのでしょうかねぇ。(愚痴ばか
りですみません。)
『中年クライシス』。おどろおどろしいタイトルだけど、同氏の著書。とてもいいことがたくさん書かれてあった。
ときに。ひとは、たとえばカーテンのあけかたひとつをとっても、そのひとのこころねというか、やさしさやそうでないものが、あらわれるのね、とも、そのときに感じたっけ。それにしても、ここにくるたびに思う。親子の相性も、天があたえたもうた試練なのかしらね、って。少し自虐的な思い。これもひとが、成長するための糧なのでしょうか。いつも、アッケラカンを取り戻すのに、少し時間がかかるんです。どんなかたに鑑ていただいても、ひとしきりため息をつかれた後で、「(最善の方法は)適度な距離をとることですねぇ~」と。これほど、ため息なのも、ある意味ひとつの奇縁なのだそうで…。あは~ぁ、とこちらもため息。どうしてあんなに、毒ばかりを吐くのでしょうかねぇ~、と。自分のこころの傷に気づけないひとは、得てして、ことばでひとを傷つけてしまうもの、と、これも河合氏の書にあったのだけど。そういうことなのですかねぇ~。ともあれ、かくも奇縁のわたしのことばでは、すなおに聞いてもらえないのは、いたしかたないのでしょうかねぇ。(愚痴ばか
りですみません。)
『中年クライシス』。おどろおどろしいタイトルだけど、同氏の著書。とてもいいことがたくさん書かれてあった。