ところで。不思議なことがひとつ。あったというのか、あるというべきなのか。おそらく、得意の「気がした」のひとつなのかもしれないが。そういえば、少し前、たしか、「もののけ姫」というタイトルの映画もあった気がする、が…。白状すると。この半年ほど、自分の感覚がものすごく過敏というか、ナーバスというか、時に自分でもちょっと大袈裟過ぎやしないかと思えるほどに、背後にひとがくるのを異常に嫌ったり、はたまた、2車線の混んだ道路で、横に並ぶ運転席からの視線までが鬱陶しくてしかたなかったり、と、過剰とも思える神経質に陥ることがよくあった。もともと、視線や空間には敏感なほうとはいえ、それらの良悪に関係なく、十把一からげに嫌悪してしまう自分に、少し戸惑ってもいた。“憑き物”が落ちた、というと言い過ぎだろうか。その過敏症が綺麗にいなくなったのに、気が付いたのは、最初の散歩だったろうか。それから何度か電車にも乗ったが、やっぱりそんな気がする。自分でも、とても不思議な感覚に驚いている。でも、なにはともあれ、元に戻れて、ほんとうによかった、と、こころからそう思う。
さらに、ところで。相変わらず、よく聞かれる。「休みの日は何をしているの?」「ふだん家に帰って何するの?」好奇心旺盛(?)なおばさんたちのみならず、その日仕事で初めて会ったひとまで。「ちょっと不躾すぎやしません?」と、こちらは、そのたびにこころは素直にげんなりしているのだけど…。ともあれ、ひとさまに、関心を持ってもらえることはきっとありがたいことなのでしょうね。それにしても、そんなに謎多き(?)ひとに見えるのかしらん。それとも、へんじん(へんじんで、思い出した。中一のクラスメイトに、そのすじのお偉いひとを父親にもつ男の子がいて、とってもお茶目な憎めない子だったのだが、自分のノートの表紙にでかでかと、こいびと募集中と書いたつもりが、へんじん募集中!になっていたっけ。)に、見える?。いやいや、きっと、たたずまいが、とてもしあわせそうに見えるのよ、だから聞いてくれているのよ、と、メデタイあたまでそう思うことにしているのだけど、ね。たったいま、そこに置いたはずのペットボトルの蓋もとめて、血眼になったり…、朝寝惚けて、歯ブラシに洗顔フォームを乗せようとしたり…、古新聞をしばるのに、紐を取りに物置棚まで行ってガムテープを手に戻り、「何持ってんの?」と自分につっこんだり…。とまあ、つまりはいたって平凡、みんなと同じ暮らしぶり、だと思うのですけどねぇ~。
もひとつ、ところで。繁華街に近い、その書店に日曜朝の開店時間に行って、感激した。なんて静寂、なんて閑散、なんて極上(空間)。って。洋書や、芸術関係の書も多いそこは、ロフト感覚の複雑な空間の仕切り方がユニークで、並ぶ書の選ばれ方にも独特のセンスが垣間見えて、さほど大きくない空間が、無駄なく、そして洗練されて作られているのに、行くたびに、感心する。いちどまわったホールやグリーンはしっかり覚える、ことにはどうも冴えないけれど、いちどいった書店なら、どこにどんな本が並んでいたかすぐに思い出せる。その日に求めたのは、岡潔氏『情緒と日本人』、文字と写真集『五輪書・宮本武蔵』とほか一冊。うら若き(?)乙女の選択には似つかわしくないやもしれませぬが、かねてより欲しかったので。奮発。間あいだに挟まれている、風雅ある自然の写真にもとても惹かれた、ので。その中から、『兵法心持の事』。大事なことは、どんなときも「平常心」、~、次に大事なのは「心とからだのバランス」~。からだが静止しているときでも心は静止せず、からだが激しく動くときにも心は平静でなくてはならない。~。(以下続く)とある。でもね。ときには、ぼーっとする時間も創造性のかぎなのだそうで…。「歴史上、空白の時間に大発見がなされた例は枚挙に暇がない。」とは、ある記事。あのニュートンさんも、ダーウィンさんも…。お~、それならそのうち大発見ができるかもしれませぬ。…zzz…。