“暇”という文字が、とても好き、かもしれない。見ていると、お日さま燦々と降り注ぐ中の、木立ちの中でゆったりとハンモックに揺られている光景が想像できそうな気がして。むろん、勝手な思い込みには違いないのだが。もとより、文字だけではない。その状態そのものをこよなく愛している、そんな気がする^^;。掛けられて、いちばんうれしいことばはなんだろう、ふと考えて、思い浮かぶのが、「無理をしないで」。こころおきなく力を抜いていられる状態が、きっととても好きなのだろう。われながら、半ば呆れ顔で、そんな風に勝手に分析している。それにしても、干したての布団の上というのは、どうしてあんなに心地よいのか。子供の頃、干しあがった布団が座敷に広げられているのに乗っかってよく叱られたものだ。「夜寝るとき以外はお布団を踏んだりしてはいけません」と。こっそり悪いことをしている、そんな少しの躊躇いとバツの悪さがよけいに、貴重な時間に思わせるのだろうか。おてんとさんの匂いというのか、あのやわらかく優しい香りに包まれて、ふにゃふにゃうとうとする時間のなんと、しあわせなこと。見上げると、ベランダの窓には、先ほどまで布団を支えていた物干し竿と、細い電線、それ以外は、青い空しか見えない。大好きな水辺は見えないけれど、誰も見下ろさない、誰からも見下ろされない、そんな平和そのものの景色に恵まれたこの窓辺に、思えばはじめて立ったとき、しばらく動けなくなった。朝日をいっせいに浴びる窓辺。そんなところにひよこマークのついた一通がやってきて…。きっとここは縁起がいいぞ!、なんの根拠もないけれど、そんな確信にも似た感想をもったのがはじまりだったっけ。


ところで。誕生月に吹く風は、どうしてあんなにとくべつなのだろう。とてもなつかしいような、いとおしいような、それでいて少しせつないような、そんななんともいえない風に感じる。生まれて最初に嗅いだ匂いだからだろうか。それぞれの季節に色があるように、風にも、色があり、匂いがあり、表情がある。そんな気がする。若木を育てる、慈しみと愛情に満ちた風。そんな感じがする。やさしい風をいつも肌に感じていたい。そんな想いをたいせつにしていたい。のんびりしたときにしか、訪れない、気付けない、そんなささやかでありがたい風もあるのかしら。「午後の日差し~、愛はたおやかに~、時計回りに過ぎて~」。少し季節は異なるけれど、愛するひとの誕生日といとおしい風をうたったその曲の、柔らかなピアノが奏でるメロディがとても好きで、聴くたびにやさしい気持ちをもらえる。(ちなみに冒頭と同じタイトルの曲と同じアルバムに入っている。)短い時間でも、ともにできるといいですねぇ~。あるところに、とても素敵な会話の一節を見つけた。「遅れたっていいんですよ。ゆっくり歩かないと見えないものもあるんです」「ほう、そりゃどんなものだよ?」「肝心なところが~」「肝心って?」「私と、私の大事な人が、ちゃんと生きてるってことです」。そして、その会話が始まる少し前には、こんなフレーズも。「月って……、ずっと変わらないんですよね」。なんだか、ちょっといい(でしょ?)。なんだかほんわか嬉しくて、思わず顔がほころんだ。