まるいちにち後には、シャワーも浴びて、木もれ日のあたるベンチに腰かけ、爽やかな季節の風に吹かれている。ちょっとした驚きである。ひょっとしてあれは夢だったのかしらん。そんな気がしないでもない。無機質で趣きのないくだに朝までつながれていたのが、とおいむかしのことのよう。ちなみに、目醒め第一声は、「休み明けのが読みたい。夕方のを一部~」で、まわりのひとを呆れさせていたっけ。それにしても、雨に洗われた、新緑はなんて美しいのでしょう。目に青葉。かけがえのないいとおしささえおぼえる。きっとそれぞれに苦しいおもいをしているのだろうけれど、いつも不平不満ばかりを口にしているひとのまわりに漂っている空気をみるたびに、こんなに素敵な自然の息吹に目をやるゆとりをもてたら、どんなにかしあわせでしょうに、と、余計なお世話を承知で、そんなことを思ってしまう。そういえば、いつか読んだ吉本氏の著述のなかに、世の中が悪(つまり戦争)に包まれているとき、ひとびとのこころは善になり、反対に、世の中が平和になると、ひとのここ
ろに悪が訪れる、たいへんな皮肉である、とあったのがふと思い出された。前世の前世はもしかすると、辻斬りにでもあったのかしらと思えるほどに背後の気配に用心深いわたしだけれど、満更大袈裟なトムソンガゼルでもない気がして、いささかかなしい世の中である。

ところで。「眠れない」というのがまったく辞書にない、目出度すぎるほどの、お気楽とんぼなのですが。たとえば、カーテンが開いたときに、マジックで書いたおめめをまぶたに張り付け、鼻にはマッチ棒なぞを添えて眠っていたら、きっとうけるだろうなぁ~と、ひじょうにお馬鹿なことを考えて、深夜にひとりで吹き出しそうになっている姿は、あまり素敵なものではないですかねぇ~。きっと、笑いというのは、そんななんでもないせつな、一瞬のために気をつかい、知恵をつかって努力することなのでしょうかねぇ~。だとしたら、そんな無駄かもしれない、ささやかな時間のために、精力を傾けられるおばさんになりたいものですねぇ~。ほんに、どこにいてもいろんなことが、ほんとに勉強になりますねぇ~。読書三昧が、いささか昼寝三昧に意匠替えしてなくもない気のする、ときの記念日に。今夜は綺麗なお月様の顔が見られますかねぇ~、少し前から、女の子の足元に寄ってきては、何かを話しかけているようにも見える可愛らしい一羽の雀さんに、そっと尋ねてみた。