お洒落に目醒めてみようかしら、なあんていったらいっせいに吹きだされてしまうだろうか。きちんと説明しないと、語弊があってはいけないけれど、はやくおばあさんになりたいと傲慢なことを少し思っているところがあって、お洒落とは、若づくりや虚飾や、模倣のためなんかでなくて、ほんとうに自分に似合うスタイルを探し求めることにあるような気がして、年をとってからしてこそ意味があるというか、まわりのひとに不快をあたえないためのみだしなみである気がして…。とかなんとか、いってるうちに、あっという間のような気がして、難しい本が読書をはじめて、すぐに読めるわけではないのとおなじに、足腰を少しずつ鍛えていかないと、センスを少しずつ磨いていかないと、いけないのではないかと、胃にやさしいやわらかい麺を食べさせてくれる、中華やさんのそばの、小さな映画館で懐かしい俳優さんを観、気持ちに張りをあげようと、髪にカーブをかけた帰りに、ふとそんなことを思っている。でも醒めるというのは、からだの自然な反応ではあっても、認知可能な感覚
や意思を超えているから、簡単には無理ですかねぇ~。一生、本を読み続けるとか、勉強をやめないとか、居心地のいい空間をつくるのに精をだすとか、おもしろいことをずっと考えていたいとか、そして、家族を愛したいというのは、間違いなくできると思うけれど、どうもその分野がいつも、意思の順位が低くっていけない。白洲正子さんみたいな、おばあさんになりたいなぁ~と思うからには、やっぱり努力も必要よね、とやぶからぼうに思った次第。本がないと、死んじゃうとは思うけれど、お洒落なドレスがなくても…と、思っているようではまだまだですかねぇ~。
ともあれ。やっとほのかに競技場の輪郭が、視界に入ってきて、すごくとても勇気と元気をもらえたマラソンランナー、そんな感じだろうか。きっとたくさんつらいおもいをさせてしまったのでしょうね。ごめんなさい。そんな気持ちで、梅雨の晴れ間の空を見上げている。つぎは、文字どおり、“醒め”たあとでお合いしませう。