恥ずかしながら。少しの愚痴をお許しあれ。どこの世界にも致命的に空気を読めないひとというものがいるもので…。塩野七生さんによると、平治の乱も保元の乱も、もとはといえば、男色が戦の原因だったという。若い女子プロが恐らくグリップに邪魔なはずの指輪をしているのをみると、ひょっとしてそちらの気のないことをアピールしているかしら、と思う。確かめたことはないけれど。河合隼雄さんのを読むと、そういうひとたちにも、その嗜好の向きを矯正したほうがその人のためにいい場合と、しないほうがいい場合があるという。恐らく、こころの病というものには、それぞれに原因があるだろうが、ともあれ自分自身の現状を受け入れられないこころのよわさにかぎがあるのだろう。だから、なかには自分自身に気付けないまま、その発する気を拒否されてしまう哀れなひともいるのだろうが…。こちらは、なるべく傷つけまいとそっと距離をお取りしてしているのに、その親切に気付いてもらえないどころか、逆に拒否の姿勢を非難されては、手も足もことばさえでないというもの。こういう、“不愉快”は、ほんとうにわかるひとにしかわからないので、このなんとも言いようのない気分の悪さをどこにもぶつけられない苛立ちがある。それにしても、女子更衣室でさえ、一対一にならないように気をつけないといけない空間というのは、なんとも哀しいことである。ひとりでも、わかってもらえるひとがいてくれたら…。うれしい。(くだらない愚痴をすみません。)
さてさて。気分を変えませう。と、いきたいところですが…。そもそもそんなどうでもいいひとに悩まされている場合ではないのですけどねぇ~。一生懸命、非日常空間の宿泊予定を、読書三昧計画を、愉しみにしようと、こころにいい聞かせているのだけれど…。やっぱり、再び俎上にのぼることへの、いいようない不安が隠せないのも事実でありまして~。それが証拠に、もともとタフでない、胃袋の方が、どうも元気がない。腕を信じるのみ。神を信じるのみ。自分の運を信じるのみ。なのですけどねぇ~。これも、突発的なことなら、いっそ腹も据わろうものですが、予め、刻々と時間が迫るというのはどうも…。しかも、自分はどうしようもないというのも、ちとつらく…。柄にもなく、ビビッていたりもするわけです。はい。でも、早まるということは、早く終わるということでもあるわけで、さっさとやっつけちゃいましょう、という気分でいるわけです。病院嫌いでしかたのなかった、父の気持ちがこのごろ少しだけわかる気がしてきました。同じく、全身の意識を奪われた20年前、首から上のというのもあったのでしょうが、醒めるときのあのつらくくるしかった時間が思い出され、いささか勇気を挫こうとするわけです。なんだかいけませんねぇ~。すっかり弱音ばかりになっちまいました。ともあれ。無理とはわかっていても、すべてのひとのこころが満たされて、だれも、マイナスのエネルギーを無駄に使わずに済む世界になれたら、どんなにいいでしょうに、とやっぱり思わずにはいられない。恐らくほんとうの愛をもつことのできるひとは、そんなにひとを責めずにいられるのでしょうが、結局いつも我慢して許してあげるのは、こころのつよいほう、愛をもっているほう、になってしまうから、つらいのでしょうね。だから、素敵なひとは、ますます素敵になってしまうわけですが~。皮肉でも、ありますねぇ~。ファイト。踏ん張りませう。