おいおい、仕事帰りに遊びまわってる場合ではないでしょ、と、叱られてしまいそうだが、何も知らないお友達のひとりが、かねてから一度行こうといっていたショッピングに誘ってくださり、しばしの非日常空間。お調子者のわたしは、これも気晴らし気晴らし、と都合のいい口実を思って、そそくさと、運転手まで引き受け…。年齢では7つのほど先輩のご婦人だが、大学をでて、いちどは一流?^^;の会社に勤めた者同士(といっても、先方はこちらの経歴を知らぬのだが…)で、なんとなく感覚があうのだろう。でも、どうしてだろう。年下の友人は勿論、かなり年上の方でも、どうもいつも気が付くと、愚痴の聞き役、宥め役になっているのですねぇ~。「言いたいひとには言わせておけばいいんですよ」「わかるひとはちゃんとわかっていますから大丈夫」…。いつかは、還暦を過ぎたご婦人にまで、「息子たちにこんな風に言われちゃうのよねぇ~」「大丈夫ですよ、それは照れ隠しもきっとあるのですよ」…。なあんて、お調子者とおひとよしがすぐ顔をだしてしまうわたしの悪い癖。ついついいいことなら口が軽くなってしまう。悪いことは、なるべく言わさないように…。で、聞いても、他には絶対話したりしないし。とはいいつつ、たまには、他愛のないおしゃべりをするのも大切な、こころの深呼吸なのかもしれませんねぇ~。


おとこのひとの顔は背中ですよねぇ~、なんて、なんて生意気なと自分でも思うけれど、いつだったろう、ずっとずっと昔、ず~っと先輩のキャディさんにそんな話をしたら、「へぇ~、そう。」と、えらく感心されて、「じゃあ、こんどうちのだんなさんの見てくれる?」と言われたときは、内心すこしたじろいだ。「いやいや、せんぱいが選ばれたひとですから、かっこいいに決まってるじゃないですか」。なんて、お調子者なんでしょうねぇ~。ところで。「夢を投げたら空に抜けるよ/青く澄んだ季節に/ぼくらの明日が透けて見えるよ/~/言葉をこえた愛もあるはず/熱く燃える季節が/ぼくらの憧憬運んでゆくよ/~」。その艶の或る美貌はとても真似すべくもないけど、ひそかに憬れる阿木耀子さんの作品。純粋に綺麗な風景が透けて見えるよう。美しい人はきっと、感性にも通じるものがあるんだ、そう思った。べつのひとのものだが、「ねぇ君 ぼくはこう想うのさ/人生なんて紙芝居だと/白くて大きな愛のぬり絵を/笑いや涙の絵の具で染める/~/三角定規を心に当てて/真っすぐ君へと線を引きたい/陸橋渡って君が消えても/あとには確かな絆が残る/~」なんてのも。作られた時代がとてもいとおしく感じるのはなぜだろう。それらから、朝には雲のように心を寄り添わせ、夕方には雨のように愛情を注ぐ…、そんな意味の故事、“雲雨の交わり”を、思わず連想てしまったのはわたしだけだろうか。Have a good sound sleep, preying our calm days...。