これほど緊張することがほかにあるだろうか、というのは、ほかでもないスタートホールのグリーン。距離感もさることながら、狙った方向に打てるか否か。その日いちにちのこころをおおきく左右する一打であり、このときが恐らく一番高揚している、といっても過言ではない。たとえば、ちょうど、その日の末尾のことばに、いろいろなイメージを膨らませ、一喜一憂してしまうこころのひだにも似ている。次のグリーンにやって来るまで、あれこれ心配と期待を交互に、微妙な按配で入り混じらせている、みたいに。
ゴルフでもそうだが、現実はときにとても残酷で、とうてい受け容れがたく見えることも少なくない。でも。恐らくだが、たとえどんなに困難に見えることでも、不思議と、時間というものが、思わぬ方向に、あるいは案外いともあっけなくという風に、驚くほど見事な解決をもたらしてくれるもの。たとえ、渦中にいるときは、「絶対に無理」とあれほど強く思っていたのに、ということでも、だ。~産むが易しというのは、このことかもしれぬ。たぶん、時の神さまは、ときにとてもイジワルで悪戯好きでさえあるけど、それとて実は絶妙なスパイス!であったりもして、ほんとはとても深遠で偉大な懐を、より効果的に、より示唆的にしているだけなのかもしれない。そう思える。無論、それは、ただひとつ、あきらめるということだけしなければ、という大切な教訓を秘めているのだろうけれど。そして、「大丈夫」ということばは、きっと、そんなときのためにある。そんな気がする。
「3匹の子豚」という童話があるけれど。藁と木と煉瓦と。おそらくつまりは、横着(虚飾)と模倣(中庸)と誠実(愚直)と。これは、どれもみなそれぞれが誰のなかにも棲んでいるもので、時と場合でそれぞれ顔を出す。むろん、ブレンド具合はひとそれぞれだが。で、いささか安直な結論だけど、それでいいんじゃないかなぁ、と思う。たいせつなのは、ひとにも自分にも恥ずかしくないようにいたい、そうわかっていること。で、ないかなぁ。阿川佐和子さんは、「ゴルフはそのひとの本性がわかる」とおっしゃっているが、たぶんそう。例えば、空間(気)を的確に把握する能力だとか。自分の実力と可能性と、虚栄と保守とにどう折り合いをつけるだとか。優れたハンター能力や、先見の棋士の頭脳や、じっと機が熟すのを待てる才覚や。構えてから打つまでの時間をみれば、その人の潔さや、準備力、思慮深さなんかがわるのだろうし。「要領」と「手際」と「判断」が測られる、怖いけれど面白いそんな場所なのかもしれませんね。それから、あと、たいせつな「人情」と。ときには、一見不幸と見えるその状況を、「愉しんでやる!」くらいの心意気、そんなのをもちたい、ものですねぇ。