「たのもしくかぜにつつまれやわらかなひざしをあびてあるけるしあわせ」
風車が好きだ。その佇まいが。その存在感が。よりいっそう風の表情の美しいこの季節は、なおさらいとおしく感じる。いつも、風に向って立っている、その堂々とした姿に、頼もしさ、凛とした矜持が漂っている。やらかい風のときは、精一杯羽根を拡げて、風をつかみ、また、強すぎる風の時には、しっかりと風に立ち向かい、でも表面的な速さは変えないでじっと、耐えるその姿に、内に秘めた強さ、深いやさしさ、偉大さをみてしまうのは、わたしだけだろうか。その素敵さ、かっこよさを大声で叫んで伝えたい。ありったけの想いを風に乗せて運びたい。そして、そんな心境(環境)をもてることに、何よりとても感謝がしたい。
ところで。病はひとの感覚をいつになく鋭敏にするのでしょうか。われながら、今日こそ休もう、今日こそ休もう、あまり負担をかけてはいけない、そう自分に言い聞かせるのだが、手が勝手に動いてしまう。いや、あふれる言葉を伝えないではいられない、そんな気持ちに背中を押される、といった感じだろうか。来月の分も、書いておきたい、そんなおもいがないわけでもないが、それだけではない、あふれる想い、こみあげる気持ち、がそうさせてくれているような…、そんな気がする。なんとか、がんばる気持ちの支えになりたい、そんなおもいに包まれている。どんなときも、きっとかならず大丈夫だからね、そういいたくて、少しでもこころに安らぎを伝えたくて、そんな必死なおもいが、かえって負担をかけているのかもしれませんね。ごめんなさい。でも、ほんとにほんとにありがとう。もしかすると、恋は麻薬のような刹那の衝動、にすぎないけれど、愛は、ずっとこころとからだを支えてくれる有難くかけがえのない栄養!、なのかもしれませんね。