こんど、非日常空間に宿泊する時間をもてたら、ゆっくり読んでみたいなぁ、とおもっているうちの一冊に『旦那の意見』がある。宿泊予定先に程近い書店に、在庫しているのはもう確認ずみ。いつか、ふと手に取ったときに、何気なく開いたページに書かれていたことが、とても興味深くて、以来ずっと頭の片隅にあった。うろ覚えだが、確か、こんな風にあった。どうして、おんなというのは、いつも、言ってることと思っていること、やっていることがちぐはぐなのだ、おとこは何をもってみればいいのだ、といった具合になかなかにいらだっている様子が。ともすると、男女の互いの本音というのは、爽やかな文章を書くエッセイストや作家の作品を通しても、どこか少しよそ行きで、異性によく見られたいとか、同性のライバルにすべてを見せるわけにいかない、とかそんなのがあるかどうかはさておき、ともあれ、そんな風に、飾らない素直なこころ具合が、ありのままにあるのがとても貴重なので、かえってその書き手への好感が膨らんだのだろう。きっと、互いになんとかして、相手のおもいを確かめ、自分のおもいをつたえ、そして、おもいやり、ときにブレーキになり、喜怒哀楽をともにしたいと願うものなのだ。きっと、それが愛なのでしょうね。


おんなは、自分の愛に、自信があればあるほどに、どこかで、妙なイタズラごころを起こしてしまう、というか、まわりをはらはらさせることを何ごとでもないかのように、さらりとものす、役者魂!?みたいなものが、恐らく生まれつき備わっていて、たぶん、件の筆者がおっしゃっていたのもそういうことなのではないだろうか、と勝手に思っている。こんな言い方をすると、身も蓋もないが、逆に言うと、おんなは自分のブレーキに絶対に自信があるから(とき)こそ、そんな一見すると心配の種を見せたがるのかも。恐らく、多分だけど、かしこい女性は、友人を選ぶときには、そういうこと(距離感)もちゃんと見極めているのではないだろうか。もちろん、これはあくまで一般論です、ということを念をおさねばなりませぬが。。おやおや、ますます悩みを深くしてしまっていたら、どうしましょう。ともあれ、異性の友情とは、或る意味、テレビドラマが騒いでいるかりそめの恋人なんかより、はるかはるかに、高貴でとうといものかもしれませぬ。ひょっとしたら、おんなは、ほんとうの信念部分を除けば、あとのふわふわした部分は、あしたの自分がわからない。で、厄介なのは、そのことを全然苦にしていない、まさにそのことにあるのでせうか。ただ、ときどき、愛するひとの“声”が聞きたくてしかたなくなるときがある。


さて。少し以前、素敵なゴルファーをみた、眺めのいいひとをみたというのを書いたが、その一期一会への感謝を一筆、厚かましさを承知でお出ししたら、なんと、さらに素敵な著書をお贈りくださった。ひたすら驚くやら、恐縮するやらで。こんなに厚意をいただいて、どうしましょう、という心境。ほんとは、素直に嬉しかったのですが。「ゴルフは人格」との言葉までくださって。ゴルフの豊かさ、繊細さにあらためて深く敬意をあらわしたい気持ちになった。僭越、欲張りは重々承知で、是非いつか、ラウンドをご一緒したいものだと思ってしまった次第。