思うに、もちろん、わたしの独断というか、勝手な感想なのだが、知る限りにおいて、あのパターというものについて、もっとも易しいのは、一時期流行ったツーボールというやつ。私は、転がすより打つタイプなので、白色フェイスでは、反発が良過ぎるため、黒色の、若干柔らかいのをもっている。もし、スタンスも、ボールの位置も平坦で、比較的短い直線のライン、を打つのなら、これより易しいのはないのではないか。だから、わたしは使わない、おへそ曲がりなのですが。。。パターというのは、いかに重心を足とお腹に置いて、しっかりストロークできるか、それもボールの赤道もしくは赤道の少し下を、パターフェイスの中心(とくに上下の中心)に、当てる事ができるか、にかかっており、それはおそらく、本塁打ができるときの、ボールとバットの関係を思い浮かべてもらうといいかもしれない。とはいえ、完全な平坦地で且つ、ストレートラインというのが、1ラウンドで何度あるだろう。もっとも、いつだったか、非常にパターの上手いプロのキャディをしたとき、勝負している相手より自分が先に打つのだが、本来曲がるラインを敢えて逆の回転をかけ、それも少し強めにラインを消して、入れて見せ、果たして、後で打ったライバルは、真っ直ぐと読んで外していた。ほほぉ~。ほんとうの勝負の凄さを垣間見た気がして、舌を巻いた記憶がある。ドラマはきっと見えないところにほんとはたくさんたくさん隠れているのだろう。
世の中には、肉食動物と草食動物がおり、どちらにも長所と短所がある。食べ物に困らなくても、敵から身を守る注意力と運動神経が必要なものと、なんとか食事を得るために知恵を絞るものと。群れからはぐれたか弱いトムソンガゼル。若い女の子の外出を、そう呼んでいる。一歩外にでると、そこにはお腹を空かせた、ライオンやハイエナがうじゃうじゃいる。エレベーターひとつ、乗るのにも神経を使う。もし、途中で地震が来ても大丈夫な状態の箱にしか身を置けない。夜帰宅しても、すぐに電灯は点けないのは、もちろんだし、駅からの帰り道にも、かなり智恵と注意がいるし。電車の座席で、首から上に手を運ぶのはご法度だし(頭を掻くなんてもってのほか)、もし隣が女性なら胸ポケット以外に触れるのも無粋だし。僭越を承知で、もし、もてるひと、かっこいいひと(つまりは信用あるひと)の見分け方があるとしたら、たとえば、曲がり角で、ちょうど同じ方向に進む見知らぬ女性と近くを歩くことになったとき、いかに、空間に配慮できるか、のように思う。草食動物としては、背後に立とうと、歩調を途端に変えられたら、もうそれだけで、さいていの敵として警戒する。食事中、ほかも空いてるのに、後から来た敵に、敢えて食べるところが見える席に座られると、ものすごく哀しい気分になるのは、わたしだけだろうか。女の子というのは、本来とても敏感な生き物。だから、ひとりでないとき、というのは、二重の意味でしあわせであり、安心であり、こころから和むことができるうれしく貴重な時間なのだ。いつも感謝している。