人生って、連立方程式みたいなものでしょうかねぇ。歩数を減らそうと思えば、荷物が多くなり、いつも身軽でいようと思えば、歩くことを厭ってはいけない。もっとも、これはキャディさん時代の教訓だけど。当たらずとも遠からず。卑近なところでは、自由に使える時間とお金の関係にしてもしかり。なにごともほどほどに。わかっちゃいても、いざ実践するとなると、あきらめとは違うそのうえの諦念みたいなものや、文字通りの“覚”と“悟”が必要になるのでしょうね。それもほんとうの。綺麗に生きる。シンプルにスマートに、そして清貧に、美しく。そのためのとっておきの教材として、あるのですかねぇ。ゴルフって。紳士や淑女としての、作法や心構えへのヒントがあるのでしょう。そのドラマと歩みの中には。ほんものの大人になるための。(ただ、本来“遊び”というのは、たたかいはたらくことを本分とされた男のひとのためのものなのでしょうね。戦場をはなれたときのつかの間の憩いの時間に彩りや和みをもたらすための。最近、ほんの最近、ようやく気が付いたのですが。)


その曲は、ソロになって最初のアルバムに入っている。タイトルは「帰去来」。陶淵明の「帰去来の辞」からとったそう。“かえりなんいざ”「帰る」「去る」「来る」この三文字の持つロマンに惹かれて。とある。グループを解散し、出した結論は地元放送局の音楽ディレクター。「地道な人生を求めていたし、様々なプレッシャーから早く逃げたかった。」ところが、その局のあるひとが、足元のごみ箱を彼の目の高さに持ち上げ、言ったそうだ。「履歴書をここに捨てなさい」「君はやっぱり歌うべきだよ」と。我に返った。人には与えられた場所がある。「逃げる」にはまだ早い。「悟る」にも。で、「ごめんなさい、また帰ってきてしまいました」(ライナーノーツ)となるわけである。それにしても、このひとの20代に作った歌には、“老成”の感さえ漂う。中学で親元を離れ、演奏家になることを使命づけられ、そして挫折し、苦悩に満ちた10代があったからこその、だろうか。才能とは、そういうものかもしれませんねぇ。他に「風に立つライオン」や「遥かなるクリスマス」。聞いたときは軽い衝撃さえ覚えた。ふるさとではなく~のさくらが恋しいということが~。毎年この季節になると決まってそのフレーズが胸に浮かぶ。