「精一杯の情熱をもって、できるだけ静かに歩く」
「思った通り歩けばいい。感じるままに動けばいい」
そうありたいものである。恙無く一日を送る。そのありがたさが身に染みるいちにちもある。
どうして、こうもドラマチックなのだろうか。でも、不幸中の幸いというか、拾ってくれるかみさまもいて、その中でもいつも確かに土壇場の決断で救われることが多いのも不思議といえばふしぎのひとつ。
書きすぎるのはいけないのだろうか。耕すのでも、肥料をやるのとも違う。ただ、地面を整理し、しばし表面を穏やかにしてくれるちからはあるような気がして、再三キーに向ってゆびを動かしてしまう。
くるまは、わたしにとってもうひとつのいえみたいなもので、てばなすとなるとなかなかの勇気と決断が要る。得とか損とか、そういうものではわりきれないものがあってフクザツである。
やくどしなのだろうか。おおきなふたつは無事に過ぎたからだろうか。どれもたいしたことはないが、小さなピンチが次から次とやってくる。どんなときも、めげない。そうしているのがつらいときも、確かにあるけど。でもだからこそ、頑張り甲斐もでてくるのだろう。そのうちいいこと、きっとある。よね。