暖房を使わずに、ひざ掛けだけでこうしてパソコンの前に(手や気持ちが悴むことなく)座ることができることに、春を感じる。これまで寒さを口実に、ほとんどパソコンに向かうことがなかったこの冬。厳しい寒さだった。いつもより。(もとはといえば、引越しの際に炬燵を手放してしまったこと、眠る(=安らぎ)空間と、癒し・寛ぎ・和み(どれがどれかいまいち区別できていないけど。。)を、分けたい、というわけのわからないこだわり、などの諸般の事情が重なってこうして寒い空間にパソコンが置かれている、という次第。)ネコヤナギの芽が大きくなり、ふきのとうが顔を出し、しばらくして土筆が、山椒が、茗荷が、蕗が、独活が、梅が、杏が、そして山桜が、蒲公英が、筍が、旬のものが次々と、庭で採れ、あるいは愛でることができた田舎者だけに、この季節はとりわけ自然の動きに敏感になる。中学のとき、古典や漢文をじつに丹念に、丁寧に教えてくださった国語の先生が、いろいろな生命がつぎつぎに訪れる早春がいちばん好きな季節だとおっしゃっていた。このごろやっと、その意味がわかるようになってきた。かつては、すべてが当たり前の光景すぎて、気付けなかった。そういえば、あるとき、「季節の変わり目を感じられる時季がとても好きだ」と話す少年がいた。瑞々しい感性が輝いてみえた。
旅をすると、からだの中のくうきが流れるというのだろうか、澄んでいくというのだろうか、いつものルーティンからではおよそ思いつかない、視点やら、感性やらが呼び起こされるような時間が、訪れる。それも、実にさりげなくいつも、そばにいましたよ、ってなふうに。あるいは、時間の流れ方が少し違う、街を歩くことがそうさせるのかもしれない。ともあれ、不思議である。なにしろ、ふとんやまくらがかわって眠れないという人々のことがまったくわからない身なので、さらに、揺れとスピード感のある乗り物の中でのあの心地のいい眠りといったらほかにない、し、といった具合に、どこでも眠れ、なんでも食べられ、乗り物によわない、これが旅の3大条件、ではないかしらと、勝手に思っている。(が、いかがでせう。)そして、これだけは無いと困るのが、愛用の耳掻きで、ほかのものは別に忘れてもなんとかなるし、なくしても心底困ることはない、と思っている。(あれ、なんの話をしているのだろう。)そういえば、学生の頃、あるひとが、旅行作家になれたらいいのにね、と言ってくれたとき、自分では「えぇ~、(乗り気はしないなぁ~)」って思ったのに。。なんともすごい眼力だったのやもしれぬ。もし、還暦を過ぎて、もし、まだ健康をもっていられたらね、っていまは漠然と思っている。
この前、偶然に偶然が重なって、9ホールラウンドする機会を得た。貸しクラブだったけど。一昨年の11月以来、昨年の夏と暮にいちどずつ。だから、だろうか。思うことや、考えることがかえって深くなっている。恐らく、2ヶ月に一度でも、3、4ホールしないと眼が覚めない、寝惚けゴルファーである。そして、半分は強がりだけど、滅多にない(ラウンドの)チャンスだから、簡単にのせちゃあおもろくない、っておへそのあたりで思ってしまうのであって。。せっかくだから、いろんなしちゅえーしょんで打ちたいじゃない?って思ってしまうのでもあって。。。でも、終盤、やっぱり50を叩くのは口惜しいから、何食わぬ顔のまま、こころのなかではめちゃめちゃはあくいしばって真剣になっていたりして。。。こうして、ハーフなどあっという間に過ぎ行くのではあるけれど。。。で、ふと思った。まっすぐなライでは真っ直ぐ立って基本どおりに打つ、これ鉄則。でもね。まがったライでは、むしろ曲がって立って、感性のままにちょっといい加減に打つ。すると、これが案外いい結果を生む。(-)に(-)をかけると(+)に(+)をかけたのと同じだけの値が得られるってのは、つまりこういうことではないの?って。(+)に(-)をかけても、(-)に(+)をかけても(-)、失敗、になるってのは、よくあるケースじゃないの?って。で、ともあれ、わたしの理想はすべてワンパットかなぁ。勿論、バーディじゃなくていい。敢えてのせないばやいもあるし、もしのっちゃったら、どんなに遠くても入れに行く。なあんて、舞台の演出家みたいに、こだわりとスタイルを求めてみるゴルフ、もあっていいじゃない、ってのは、やっぱり一寸気どりすぎ、だろうか。
ところで。毎回、この下にくっついてくる、なんともお下品で無粋な、広告というか、コピーというか、なんとかならないものですかねぇ~。もう少し、別のところ、ページの端とか、ならまだ許せるのに。恐らく、本分のワードにヒットさせられるのでしょうが。。。困ったものです。