「冬日愛すべし、夏日畏るべし」ではないけれど、冬の日差しはなぜにかくもやさしく、いとおしい感じがするのだろう。もっとも、暦は、もう春だけど。ひそやかに、少しずつ、陽の長さとともに確かにやってきている。「続・言葉の風景」には、なんとも美しい四季折々の景色が、珠玉のことばたちとともに織り込められていて、感心しながら眺めている。この四季が織り成す、さまざまな色の繊細さに、ただただことばもうしなうばかり。この繊細さは、この四季のある風土があればこそ、なのだろう。そして、「ひらりしゃらりの春のあけぼの」も、もうそこまで来ている、のだろう。


旅を、イメージしていた。冬の。雪にうっすら包まれた湖畔にひっそり佇む一軒宿。あるいは、ちいさな疎水べりの木の欄干が印象的な木造ばかりの小さな温泉街。行灯調のほのかな灯りのともる障子窓。無論、あたりは雪景色。はて、どこかで見た光景だろうか。自分でもさだかではないのだが、そんな宿に2泊ほどのおんびり逗留できたら、いいだろなぁ~。と、ひとり勝手に描いていた。でも、決して派手な風貌とはいえぬ身ゆえ、ひとりでそんなところに訪れたりしたら、なにか思いつめたワケアリかしら~、なんて心配されたりはしないだろうか。と、あらぬ危惧までしてみたりして。ともあれ、さんざん、想像を凝らしたあげく、旅館の食事をひとりでとる姿を思い浮かべて、ひとまず断念した。憬れの芭蕉や司馬さんを真似て、なんて気取ってみても、ひとり旅が似合うには、もうちょっとと齢を重ねてからでないと、いけないような気がするし。。。


昼間の図書館通いがすっかり板についてきた。晴れた日は、3駅向こうの館まで自転車を漕いだり、はたまた、新線の向こう側の、普段足を入れたことのない住宅街の中の小館を、勘だけを頼りに自力で見つけ、ひとりひそかに誇らしげな気分になったり、している。「ところで、そんな呑気なことでいいの?」どこからともそんな声が聞こえぬでもない気もするが、まあ、冬は冬らしく、大人しく家でじっくり書を暖めるのもいいでしょう、と、もうひとつの真面目な声を、なかば閉じ込めているそんな心境。そして、また、再び、懲りずに、旅を思い描いている。リュックサック背負って街を走り回っているオジサン。に、刺激をうけたからというのでもないのだけれど。“一日遊軍”。なんとも、ほろ苦さとともに、少なからずのワクワク感を呼び起こす響きがある。「哲学者の都市案内」なる書にも、折から、刺激を受けていたせいもあるのかしらん。古い街並みのある空間に佇んでみたくなった。つかの間の非日常空間に、感覚を晒してみたくなった。ガイドブックに頼らない旅。地図は自分で作るたび。つかの間、そんなところに身を置いてみるのは、やっぱり贅沢というものなのだろうか。