「大丈夫。今日がだめでも明日があるから」「流されるんじゃなくて 逆らうんじゃなくて 流れのままに」「だいじょうぶ。悲しみは優しさに 苦しみは強さにきっとかわるから」「大切なのは信じるこころ もっと大切なのはゆるす心」「野の花見ながらゆっくり歩く。風を感じてのんびり歩く。夢にむかって一緒に歩く。ずっとずっと一緒に歩く」「やさしくやさしくなれるから 今日の悲しみ無駄じゃない」「話せばわかってくれるひとなら 話さなくてもきっとわかってくれる あなたのこと」「夢は大きく こころはひろく 想いはふかく 気持ちはまあるく」「「一歩一歩。走り疲れたら歩けばいい。歩きつかれたら休めばいい」「愚直 まっすぐまっすぐ。こころに正直に」。。。
「学ぶ心さえあれば、万物すべてこれわが師である。/語らぬ石、流れる雲、つまりはこの広い宇宙、/この人間の長い歴史、/どんなに小さいことにでも、/どんなに古いことにでも、/宇宙の摂理、自然の理法がひそかに/脈づいているのである。/そしてまた、人間の尊い知恵と体験が/にじんでいるのである。これらすべてに学びたい。」「悪いときがすぎれば、/よい時は必ず来る。おしなべて、/事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。/あせらずあわてず、静かに/時の来るのを待つ。」 先のタイトルは「学ぶ心」、そして「時を待つ心」。松下幸之助氏のことばである。偉大なひとは、たとえその出自が商人だったとしても、あらゆるジャンルを超えて、ふかく、ひろく、おおきく、ものごとをとらえることができるのだろう。だから、偉人なのだろう。どれほど、励まされていることか。
ときに。朝目が覚めたとき、ふとんから顔をだすのさえ恥ずかしいと思ってしまうときがある。それは、まるで、夜半、一気に書き上げた恋文を、夜明けが待てずにポストまで走ってしまったときのような。気恥ずかしさと、取り返しのつかない覚悟がないまぜになったような、いわくいいがたい、つまりは顔が熱くなるようなおもい、だろうか。夜があるからこそ、かける詩があり、朝があるからこそ、確かめられる想いがあり、なんともまあ、時の懐の深さ、ふしぎさ、偉大さ、である。それにしても、どうして、言葉が、お寺と一緒になると、「詩」になるのでしょうね。マイナス(-)にマイナス(-)を掛けるとどうして、プラスになるのかと同じくらい、ずっと解けない謎のひとつである。ともあれ、「あなたのこころが今日も明日も笑顔でありますように」。