遠くで石焼き芋を売る声がする。お腹が空いた宵の口は、またなんとも美味しそうに聞こえる。黄金色の間から立ち上る湯気が目に浮かぶ。いつか一度、買ってみたいなぁ~と思うのだけれど。まだない。お芋で思い出した。あるところで、カウンターの向こうでその美味しそうな芋の隣に並んでいた綺麗な茗荷が、どうにも忘れがたい。内心、次か、次かと待ちわびていたのだが、結局その場では食することが出来なかったから余計に記憶に残ったのだろうか。香りのする露地物が好きである。今冬は、わが庭の柚子の木がたわわに実をつけた。寝正月を決め込んでいる暇に、お世話になった恩師にお配りすればよかったとちょっぴり悔いている。


この頃になっても毎日数枚ずつ、年賀状が届く。ほんの数行でも手書きのメッセージが添えられていると、ことのほかうれしい。日ごろは無沙汰をしている者同士の、ささやかだけど、きっと貴重なキャッチボール。そんな気がする。先の年末は、珍しくクリスマスまでに投函できた。前年下さった方に、数行の言葉を添えて。他の方には、到着を待って年始賀状にしようかと、3分の1を残して。そして、元日。年賀状が届くところにいない、というのは存外寂しいものであるなぁ~と気付いた。後日、いくらか出していない方からも届いていると知ったのだが、結局出しそびれてしまった。添えたメッセージの多くは、前年の賀状の言葉に返事をする形で書いた。さて、毎年数通はあるそんな行き違いの葉たち。なかなかうまくはいかないものである。そして、手元に大量に残った手書きデザインの賀状たち。はてさて、どうしたものかしらん。がしょーーう、と漢字のアレンジでおっきく書いてしまっているから、寒中見舞いにも転用できないし。。


お雑煮やおせち料理を食べ過ぎた、というわけでもないのだけれど。胃袋の具合がどうもすぐれない。何しろ、家のふたりは実に実によく食べる。年齢を足したらいったいいくつ?というのに、だ。さっき昼だったでしょ?と思うのに、5時半には夕飯である。文句を言っては罰が当たるが、空腹に勝るなんとかというではないか、と内心で叫ぶ。早く作るのは早く食べるため、早く食べるのは早く片付けるため、早く片付けるのは早く寝るため、早く寝るのは早く起きるため、だそうである。確かにぃ~~、ただしい。でもね。それじゃあ、どこまでいっても「早く、早く」の連続で、ちっとも気がやすまる暇などないではないか、とこれはヒラメの言い分。泳ぐのを止めたら死んでしまうマグロみたい。そして、時計の短針と秒針のようでもある。と、ふと思った。してみると、父は長針だったのだろうか。余りにペースの違う2針の間で、仲をとりもち、ひそかにストレスをためていたのだろうか。はたと、思った。っと、またしても、こんなところでつまらない愚痴をこぼしているヒラメなのである。ふ~。