縁は異なものさて味なもの独活が刺身の~。に感銘を受けたのもこんな夜だったろうか。余りに明るく美しいので、思わず遠回りしてしまう夜でもあった。世紀のラブレターに負けない、恋文をしたためてみたいものだと、思いつつ空を見上げて。出会いは宿命だけど、さてその先の道(運命)を作るのは努力なのだという。あらゆる偶然は、しかるべき必然だともいうけれど、それにしても巡りあわせってきっとあるのだろう。もしも古都のユースホステルの談話室で異国の学生たちと同席することがなかったら...。もしもあの時、海外遠征を強行していなかったら...。腰痛をこじらせることもなく、治療院に出向くこともなく、その後のゴルフラウンドもなく、その作家の方に会うこともなく。。。ひとは、あらゆる局面でその都度、決断をし、道を選んでいる。だから、もし別の道だったら...というのを経験することはできない。でも時に、見えざる糸を感じずにはいられないことが、確かにある。
そういえば、「天使が舞い降りた日」というのは、まだ冷たい雨の降る春先の図書館ではなかっただろうか。その日が閉館日と知り、扉の前で立ちすくんでいると、同じように居合わせた女性がひとり。声を掛け、互いに好印象を抱きながらも、そのまま別れ、「もう会えないのだろうか」と半ばあきらめかけていたところに、あるダンスパーティで偶然再会。やっぱり神様はいるのだ、と思われたかどうかは知らないがまさにそんな心境だったのだろう。城山氏の馴れ初めを語る、その筆遣いにはその時の嬉しさが何年を経ても、ちっとも色褪せていない、いとおしさとともに滲み出ているようで、読んでいるこちらのこころの中まで温かくさせてくれた。「雨やどり」という題の、ちょっぴりユーモラスでちょっぴり軽妙なタッチの歌があるのだけれど、まるでその話を元にしたのではと、思ったほど。その歌の最後はこう締められている。「気が付いたら、貴方の腕に雨やどり」。肖りたい。
「苦難や危機に際して人が本当に必要とするものは、必ず言葉であって、金や物ではあり得ない。~。だから、人を救うことができるのは言葉であって、その意味で言葉こそが命なのだと、~。ふだんの日常ではやはり生きるのが先決なのだと、なお人は言う~。しかし、~、明日死ぬ今日の生、その連続以外の何ものでもない。なのにどうして人は、言葉を求めずにお金を求めるのか。世の中が息苦しくなっているのだって、言葉が汚れ、汚れた水の中で生きられてなくなっているのに他ならないのですよ」(暮らしの哲学)
「優れたリーダーとは、良き結果を得るためには良くない手段に訴えるくらい、眉ひとつ動かさずにやってのけられる人種のことである。」「人間の為すすべての事柄には、金貨にも表裏があるのに似て、長所と短所がある。~。哲学者としても有名だったマルクス・アウレリウスにしてこれである。人間の欲望は、かくも自制のむずかしいものなのか。」「だが、忘れないでいただきたい。人材というものは、これ以後生まれないのではないかと恐れているかぎり生まれないものであり、反対に、そのような心配にわずらわされずに断固とした処置を決行する国家では、生まれてくるものであります」「必衰は、盛者になりえた者のみが受けることのできる特権である。問題は、どういう生き方を選ぶことで盛者になるか、でしかない。」(いずれも、再び男たちへ)
言葉を知る人、言葉の力を知る人、そしてほんとうの愛を知る人は、とてもつよくうつくしい。かはらない信念を見つめつづける一年。と同時に、散り際の綺麗さについて考えつづける一年。何事にも、敢えて攻めないこと、争わないこと、競わないことのなかにそこそ、真の大切なものが見えてくること、を学んだ一年、だった。ときに。あたたかい焔をともすキャンドル、色とりどりに輝く街のライトたちもとても素敵だけれど。ありったけのおもいを書いた紙飛行機を、おりからの風に乗せて、いや、パッケージにある鳩の足に結んで飛ばせたらどんなに素敵だろうか。無事に届きますように、そう心に祈りながら。そして、どうか心安らかに過ごせる夜でありますように。メリー・クリスマス。