ボーナスをもらった。すずめ~だけど。あるだけ有難い。そんな響きは、4年ぶりだろうか。いつかの100分の1にも満たない、けれど。これが、分相応なのかな、とも素直に思う。節約生活というのも、慣れてくれば、それはそれで結構、面白い。知恵も生まれるし、工夫もたのしい。一週間に使う分しか財布に入れていないと、たまに、金曜の夕方、近所のパン屋さんで、レジを済ませて財布を開けると、小銭しかない(ガビョーンである)。。。で、たまの贅沢、メンチカツサンドを泣く泣く諦める。。なんて悲哀を味わったりもするのだけど。だから、すずめのそれでも、勿体無くて使えない。大切な人へのめりーくりすますを買おうかしら。もう番~を引退した彼には、おもちゃより毛布の方がいいだろうか。(彼は、私が保育園からずっと冬になると使っていた毛布を、4等分してもらって愛用している。)
バイクの試験に一本橋というのがあって、幅6インチ強(も少しあるかなぁ)くらいの上を走る。それも、一定時間以上かけないといけない。中型だと確か11秒。目前を見てはいけない、すぐにバランスが崩れる。ずっと先の方を見るのだ。なるだけ遠くを。すると不思議に重いからだが安定し、あと2、3秒かけても大丈夫くらいに走れる。このごろ、ものすごくこころが解放される瞬間がないなぁ~と思ったら、それは恐らく、それを求めなくてもいいくらいに、ストレスの無い生活を享受できてるからだと気付いた。だから、たまには少しシンドイことをした方がいいかな、などと思ってみる。つらいとき、しんどいときほど、目前を見ないで、なるべく遠くを見るようにしたらいいのだろう。きっと。よくも、あんなシンドイことに耐えられたなと思うことも、結構あるけれど、済んで時間がたてば、むしろ、簡単だったことよりずっと意義深い気もして、苦労を避けている(つもりの)人が、かえっていつもあくせくしているように見えたりするのと、通じるのかなとも思えたり。人生はたいてい、収支が見合うように出来ている、とどなたかが書いておられた。「分相応に風が吹く」。今年の教訓だった。来年は、「短気は損気」だそうだ。肝に銘じよう。
「山を染め乍ら/秋は去ってゆく/積もった雪なら/いつか消えてゆく/人は決して独りきりで/生きている訳じゃない/いつかきっと~/かなしいね/やさしいね/生きているって/すごいね/がんばって/がんばって/~/泣かないで/負けないで/~」ある(歌)詞の一部。こんな詩を書ける感性と、透明性がすごい。「(メロディが)暗い」の一言で(評を)下したひともいたけれど。つよさと、やさしさと、きびしさと、かなしさと、ユーモアは、みんな元はひとつなのかもしれない。それは、ふかさ。そして、貧しさとは、お金がないことなどではなくて、こころが貧しいこと。こころに栄養を、どれほど送ることができるだろう。そのための苦労だったら、ちっとも苦でない。それは大切な人のためにする苦労がへでもない、のと同じように。好きなものを読み、好きな音楽を聴き、居心地のいい空間があり。あとは、素敵な絵やお芝居を観られたら、(さぞ)いいのだろう。とまあ、やせ我慢はこの辺で。。。